グラン・トリノ Gran Torino

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監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ビー・バン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー
時間:117分
公開:2008年
ジャンル:
ドラマ

コメント一覧

でべ | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2010年05月14日 | 見た回数: 1回

マッチョ映画だったなーと。まま、「グラントリノ」って時点で気づくべきだったのかな。実はあんまり見ていないんだけどクリント・イーストウッドってこういうもんなの?
ひどいことを書きますがまあまあ面白かったし楽しんで見たんです。信じてもらえないかもしれないけど。気分を悪くするかもしれません。ごめんなさい。

ここから先はお話の核心に関わる記述があります。このリンクで読み飛ばせます。あるいは次の見出しにスキップしてください。

とにかく違和感があったのはレイプされた女の子の存在がぞんざいなこと。ぐちゃぐちゃの状態で戻ってきたスーを見て、わたしはいやーな気持ちになったのです。彼女は一度死んでしまった。いつか同じに振る舞えるようになったとしても決してもとの彼女には戻らない。一見幸せな生活を送れるようになったとしても間違いなく重しを背負いながら生きていくことになるだろうし、その重しは男の子のやんちゃと違って時間を経ても武勇伝になったり笑い話になったりはしない。以前のスーが屈託なく、素直で、威勢がよく、でも人の話を聞くザ・おっさんの味方女子だったばかりに余計気持ちが塞ぎます。
そんな気持ちがわぁっと沸き上がってとにかく見ていられなかったのですが、じいさん(クリント・イーストウッド)は彼女のことなど見ていません。自分のせいで事件が起こったことを後悔しますし自己嫌悪に陥って暴れたりしますが、彼女の気持ちなどまったく意識にない様子。復讐に燃え始めたときはびっくりしました。そういう場合、お話の筋としては「黙っていなくなる」とか「彼女を救おうとする」とかがよくある手だと思ったからです。みなさんは言うかもしれません、それも彼女を思ってのことだって?当然そうかもしれません。でもさらにびっくりするのはじいさん、復讐現場から彼女に電話をかけるんです。こっそり復讐して黙っていなくなるんだったらまだ納得できます。でも見に来いと言わんばかりに電話をするんです。ただ彼の自己満足のための行動としか思えません。わたしが女だからそう思うだけ?昨日レイプされたばかりのスーはいまは誰とも関わりたくないだろうと思うのです。誰とも話をしたくないし、この状態を人に見られたくもない。とくにじいさんには会いたくないはずです。じいさんのせいでこうなったことも、じいさんが良い人間であることも知っているから。でも彼女は着の身着のままぐちゃぐちゃの顔で走って来ます。こんどは映画を撮ってるじいさんと映画を見てるじいさんを満足させるために。
スーの弟、タオにもびっくりです。じいさんちに息巻いて乗り込んで来て「奴らを殺すために一緒に来て!」。どひぇー。じいさんを殴りに来たなら分かる。奴らを殺しにいくと告白しに来るなら分かる。一緒にて!そんなに若造に踏み越えられたくないのかクリント・イーストウッド!

思えば最初からすべてじいさんの引き立て役でしかなかったのかと。うまくいかなかった実の息子との関係を隣の若造タオでやり直し、彼に立ちはだかることで男の威厳と優しさを見せつけ、悪漢を追い払うことで自分の力を誇示し、若い女の子から尊敬されることで自分の魅力を再認識。
そんで格好よく散る、と。わはは。
なんでしょう、これがしょぼくれた格好悪いじいさんならまだコメディにもハートウォーミングにもなりそうなもんですが、何しろあたまからクリント・イーストウッドずーーーーっと格好いいのね。そりゃもう笑っちゃうくらい。

あー、格好いいからだめなのか…な?

隠しテキストはここまでです。

金 克美 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2009年09月29日 | 見た回数: 1回

おじさんたちが元気になれるだろう、という意味でオススメの一本です。

キャデラック・レコード」もそうだったけど、50年〜60年代の車は、男のアメリカンドリームのひとつの象徴やのね。

フォードにつとめてて、自分でハンドルを取り付けた車だなんて、もうこれ以外ありえへんくらい自分の人生を代弁するモノが、あのグラン・トリノやのね。

勧善懲悪というのがはっきりしてて、オトコのケジメの付け方をひとつ示していてて、クリント・イーストウッド節がたっぷりの映画でした。

お父さんの誕生日とかにプレゼントしたら喜ばれそう。当然、サムへのプレゼント候補にいれておこう。あ、中尾さんへもよいかもね。

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2009年09月29日 | 見た回数: 1回

「かっこういい」ということは、「保守的である」ことと非常にちかい関係にあると思う。

「保守」の対語は、どれか一つあげろといわれると難しいが、たとえば進歩、革新、左派等々あげられるし、そのなかにもかっこうよさはあるだろう。

でも、違うのだ。そういう高級で難しい「かっこうよさ」でなくって、誰でもわかる「かっこうよさ」は、多くを語らず、不器用で、しかし曲がることのない信念によって支えられるのだ。そしてこの映画は、そういう「かっこうよさ」だけで出来上がっていると言っていいと思う。

作品としては「セント・オブ・ウーマン」+「許されざる者」というかんじで、老い先短い頑迷で保守的な老人が、ある普通の若者との日々を通じて、人生の残りを若者に捧げることに意味を見いだすというようなスジ。途中にはかなりコミカルで面白いシーンもあるのだが、あえて言うが、男だったらかくありたい「有終の美」がメインテーマです。まあ最初から最後まで、とにかくクリント・イーストウッドがかっこういいんですわ。

というわけで、かなり面白かったのですが、極左的な僕としては、最高評価はためらわれて、上から2番目くらいで。

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