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柴田宣史 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2008年09月22日 | 見た回数: 2回
1998年、マーキュリー計画に参加したジョン・グレン元宇宙飛行士が、70歳を超える高齢でスペースシャトルに乗って宇宙に行った。その事実に勇気づけられてクリント・イーストウッドが映画化に踏み切ったそうな。
しかしなんというか、フロンティアの消失というのはアメリカの精神的基盤に打撃を与えたと言われるけれども、地球という閉じた系(生態系的には閉じてないという意見もあり、それはごもっともだけど)の世界観を持たざるを得ないこの世界の男の子にとっても、打撃だったのかなと想像をする。
宇宙というのが、先住民を傷つけたり、略奪することを必要としない、汚れのないフロンティアなのだと、しみじみ思わせられる。宇宙開発に予算をまわすのは愚かだと言われればぐうの音もでないが、宇宙に思いを馳せるのは、誰も傷つけないのだ。
というわけで、「死に花」というよりは、男の子のための映画かと。
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1998年、マーキュリー計画に参加したジョン・グレン元宇宙飛行士が、70歳を超える高齢でスペースシャトルに乗って宇宙に行った。その事実に勇気づけられてクリント・イーストウッドが映画化に踏み切ったそうな。
しかしなんというか、フロンティアの消失というのはアメリカの精神的基盤に打撃を与えたと言われるけれども、地球という閉じた系(生態系的には閉じてないという意見もあり、それはごもっともだけど)の世界観を持たざるを得ないこの世界の男の子にとっても、打撃だったのかなと想像をする。
宇宙というのが、先住民を傷つけたり、略奪することを必要としない、汚れのないフロンティアなのだと、しみじみ思わせられる。宇宙開発に予算をまわすのは愚かだと言われればぐうの音もでないが、宇宙に思いを馳せるのは、誰も傷つけないのだ。
というわけで、「死に花」というよりは、男の子のための映画かと。