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尾内丞二 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2011年05月10日 | 見た回数: とてもたくさん
先日『映像を勉強してみたいので色々教えて下さい!』という女の子と話をする機会があった。
彼女が言うには 『YouTubeに○○という動画が上がっていて、そういうのが作ってみたい』 のだそうだ。 その動画はいわゆる“同人アニメ”のようなもので、自分で作った初音ミクの音声に合わせてこれまた自作のキャラクターがアニメーションするというものだ。
僕は妙に悲しい気分になってしまった。
そのアニメーションが僕には作れない作品だったからではない。今の僕なら恐らく1週間ほどの作業でそれと同じ物を作る事が出来るだろう。 僕が悲しい気分になったのは、その作品を心から『見てみたい!』と切望する集合を想像できなかったからだ。
…そしてなにより悲しいのは、その集合に作者自身も含まれることである。
これらの作者と話をする事が出来れば、僕は最初に聞くだろう。 『少しも魅力を感じないのですが、これがアナタが本当に作りたかった物ですか?』
その人はこう答えるに違いない。 『まあ、ヒトの考え方はそれぞれですし、しょせん趣味で作っただけですから。』と。
実際に僕が出会ったことがある“作家”たちは絶対にこういう答えは返さない。 彼らは僕がその作品の良さを感じる事が出来ない原因を探ろうとし、なんとかそれを理解できるようにガイドを試みるはずである。
それでも僕が理解に苦しむようなら苦笑いをしながら言うだろう。 『判らないならまあいいや。でもこれを作ってみたかったんだよね。』
これが本物の作家というものだ。 例え世界中の人間が『最悪の作品だ』と唾を吐いても、少なくとも自分自身だけは『世界で最高の作品だ』と確信しているのだ。
趣味だろうがナンだろうが、作家の端くれならばその防衛ラインは死守せねばならず、またその一線を越えてはならない。 だからこそ、そういう者たちが生み出す作品には必ず、説明の必要など感じさせない迫力があるのだ。
ここでようやく映画の話ですが、映画の中にもそうやって生みだされた作品が数多く存在します。
●エヴァンゲリヲン新劇場版 ●ハドソン・ホーク ●キャシャーン ●エド・ウッド作品 ●クエンティン・タランティーノ作品 ●ロバート・ロドリゲス作品
そしてこの「紅の豚」。
そもそも全日空の機内上映作品として製作がスタートした本作品。 のちに宮崎監督は苦笑いをしながらこの映画を指して『やっちゃったよねー。』と語ったそうです。
これはもちろん“映画作りに失敗した”という意味ではない。 世間から注目を浴びている中で慎重に映画作りをしなければならない立場にも関わらず『思いっきり自分一人が観たい映画を作っちゃった』という意味である。
Good job !!
「風の谷のナウシカ」のコメントで、でべがナウシカやフィオ・ピッコロ嬢にヤキモキして牙を剥いていますね。 ナウシカはともかく、配偶者としては賢くて快活で、くるくるとよく働くでべはかなりフィオ嬢に近いと感じるのですが、彼女自身はそう思っていないストイックさ。
…ええい『戻れ、じゃじゃ馬!!』
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先日『映像を勉強してみたいので色々教えて下さい!』という女の子と話をする機会があった。
彼女が言うには
『YouTubeに○○という動画が上がっていて、そういうのが作ってみたい』
のだそうだ。
その動画はいわゆる“同人アニメ”のようなもので、自分で作った初音ミクの音声に合わせてこれまた自作のキャラクターがアニメーションするというものだ。
僕は妙に悲しい気分になってしまった。
そのアニメーションが僕には作れない作品だったからではない。今の僕なら恐らく1週間ほどの作業でそれと同じ物を作る事が出来るだろう。
僕が悲しい気分になったのは、その作品を心から『見てみたい!』と切望する集合を想像できなかったからだ。
…そしてなにより悲しいのは、その集合に作者自身も含まれることである。
これらの作者と話をする事が出来れば、僕は最初に聞くだろう。
『少しも魅力を感じないのですが、これがアナタが本当に作りたかった物ですか?』
その人はこう答えるに違いない。
『まあ、ヒトの考え方はそれぞれですし、しょせん趣味で作っただけですから。』と。
実際に僕が出会ったことがある“作家”たちは絶対にこういう答えは返さない。
彼らは僕がその作品の良さを感じる事が出来ない原因を探ろうとし、なんとかそれを理解できるようにガイドを試みるはずである。
それでも僕が理解に苦しむようなら苦笑いをしながら言うだろう。
『判らないならまあいいや。でもこれを作ってみたかったんだよね。』
これが本物の作家というものだ。
例え世界中の人間が『最悪の作品だ』と唾を吐いても、少なくとも自分自身だけは『世界で最高の作品だ』と確信しているのだ。
趣味だろうがナンだろうが、作家の端くれならばその防衛ラインは死守せねばならず、またその一線を越えてはならない。
だからこそ、そういう者たちが生み出す作品には必ず、説明の必要など感じさせない迫力があるのだ。
ここでようやく映画の話ですが、映画の中にもそうやって生みだされた作品が数多く存在します。
●エヴァンゲリヲン新劇場版
●ハドソン・ホーク
●キャシャーン
●エド・ウッド作品
●クエンティン・タランティーノ作品
●ロバート・ロドリゲス作品
そしてこの「紅の豚」。
そもそも全日空の機内上映作品として製作がスタートした本作品。
のちに宮崎監督は苦笑いをしながらこの映画を指して『やっちゃったよねー。』と語ったそうです。
これはもちろん“映画作りに失敗した”という意味ではない。
世間から注目を浴びている中で慎重に映画作りをしなければならない立場にも関わらず『思いっきり自分一人が観たい映画を作っちゃった』という意味である。
Good job !!
「風の谷のナウシカ」のコメントで、でべがナウシカやフィオ・ピッコロ嬢にヤキモキして牙を剥いていますね。
ナウシカはともかく、配偶者としては賢くて快活で、くるくるとよく働くでべはかなりフィオ嬢に近いと感じるのですが、彼女自身はそう思っていないストイックさ。
…ええい『戻れ、じゃじゃ馬!!』