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柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2010年01月09日 | 見た回数: 1回
いかにもロン・ハワードらしいつくり。
あいだに入る回顧風のインタビューは、まあ遊びだと思うが、ニクソンと対決するフロスト氏は主人公ではあるものの、ロン・ハワードの趣味だと思うが、誇張が少ない写実的な描かれ方をしていて、みている間はいささか頼りない。
予告編では「頭脳対頭脳」という感じの売り方だが、インタービューの7割はニクソンの圧勝で、しかもそれがよくある「ここまで花を持たせているのは計算」というわけでなく、単にニクソンが老獪なのだ。
余談だが、この映画の冒頭予告編集にはオリバー・ストーン監督の「ブッシュ」というジョージ・W・ブッシュの伝記映画の宣伝が入っていたが、息子ブッシュは実際でもその映画の宣伝でも「どうしようもない人」という印象だが、この「フロスト×ニクソン」のニクソンは共和党政治家かくあれりという貫禄さえ感じてしまう。
またそれに説得力を添えるのが、フロストの初期の動機は多分単純に売名だった、ということが伺えるからではないだろうか。
売名が悪いということでなく、ニクソンを糾弾しようというような理想を持っていた訳でなく、「これは、ニーズのあるネタだ」という鼻が利いたということだし、そういう「軽薄な」フロストからのオファーだったからこそ、ニクソン側も受けたというところがあるので、非常に数奇なる巡り合わせから実現したインタビューだったのもおもしろい。
インタビュー最終日、ニクソンはジャック・ブレナン(ケビン・ベーコン)が止めるのも聞かずにある告白をする。もともとこのインタビューを利用して政界に返り咲こうとしていたはずのニクソンだったが、はからずもフロストのインタビューによって引き出されたニクソンの懺悔は、彼がじつは後悔をしているのだということを彼に自覚させる。このときの表情は映画でもクローズアップして取り上げているが、かなり迫力がある。
人間誰しも、ゆるしを得たと実感をしたいものであるが、それにしても大統領級の人間になると、ただの懺悔ではすまないのか、これだけの舞台がなければ、ニクソンがあの表情を得るに至らない、というのが妙に説得力がある。
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いかにもロン・ハワードらしいつくり。
あいだに入る回顧風のインタビューは、まあ遊びだと思うが、ニクソンと対決するフロスト氏は主人公ではあるものの、ロン・ハワードの趣味だと思うが、誇張が少ない写実的な描かれ方をしていて、みている間はいささか頼りない。
予告編では「頭脳対頭脳」という感じの売り方だが、インタービューの7割はニクソンの圧勝で、しかもそれがよくある「ここまで花を持たせているのは計算」というわけでなく、単にニクソンが老獪なのだ。
余談だが、この映画の冒頭予告編集にはオリバー・ストーン監督の「ブッシュ」というジョージ・W・ブッシュの伝記映画の宣伝が入っていたが、息子ブッシュは実際でもその映画の宣伝でも「どうしようもない人」という印象だが、この「フロスト×ニクソン」のニクソンは共和党政治家かくあれりという貫禄さえ感じてしまう。
またそれに説得力を添えるのが、フロストの初期の動機は多分単純に売名だった、ということが伺えるからではないだろうか。
売名が悪いということでなく、ニクソンを糾弾しようというような理想を持っていた訳でなく、「これは、ニーズのあるネタだ」という鼻が利いたということだし、そういう「軽薄な」フロストからのオファーだったからこそ、ニクソン側も受けたというところがあるので、非常に数奇なる巡り合わせから実現したインタビューだったのもおもしろい。
インタビュー最終日、ニクソンはジャック・ブレナン(ケビン・ベーコン)が止めるのも聞かずにある告白をする。もともとこのインタビューを利用して政界に返り咲こうとしていたはずのニクソンだったが、はからずもフロストのインタビューによって引き出されたニクソンの懺悔は、彼がじつは後悔をしているのだということを彼に自覚させる。このときの表情は映画でもクローズアップして取り上げているが、かなり迫力がある。
人間誰しも、ゆるしを得たと実感をしたいものであるが、それにしても大統領級の人間になると、ただの懺悔ではすまないのか、これだけの舞台がなければ、ニクソンがあの表情を得るに至らない、というのが妙に説得力がある。