ここから本文です
スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望 Star Wars Episode IV: A New Hope
画像表示切り替え監督: | ジョージ・ルーカス |
---|---|
出演: | マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アレック・ギネス |
時間: | 125分 |
公開: | 1977年 |
ジャンル: SF |
コメント一覧
尾内丞二 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2010年02月12日 | 見た回数: 未記入
柴田宣史 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2008年07月01日 | 見た回数: たくさん
スターウォーズっていやあ、これですよね。オープニグテーマだけでおかわり3杯はいけます。中学生男子、夏休みの必須映画指定でお願いします。
石田憲司 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2008年07月01日 | 見た回数:
僕が抱える長年の課題のひとつに「映画の定義」というのがある。
ヒトは言う。
『ドキュメンタリーだって映画だろう。』
映画が“映画館で上映される物”だとすれば確かにその通りかもしれないが、僕はマイケル・ムーアの所業に代表されるようなドキュメンタリー作品は映画ではないと思う。
あるいは民法で放送される番組に『2時間ドラマ』というジャンルがある。なかにはとても高い完成度を誇る作品もあったりするが、これもやはり『映画ではない』と感じる。
これらは僕にとって自明の概念であるが故にいままで明確に定義してこなかったのだが、他人と映画の話をする時に時々意識の違いに困惑することがあるのだ。
ではここで映画という物を定義してみる。
1:映画はエンターテイメントのために作られていなければならない。(観客を楽しませるという目的を上回る目的があってはならない)
2:映画は劇場公開されなければならない。(どれほどの完成度があろうとテレビの2時間ドラマやVシネマは映画ではない)
3:映画には脚本がなくてはならない。(したがってドキュメンタリー映画は映画ではないが、実話を元にした映画は『映画』である)
共感を得られないとしたら、3番目の定義だろう。
『ドキュメンタリーだって映画だ』と言い張る者の多くは次の例えをも後ろ盾にする。
“事実は小説よりも奇なり”
…なるほどそうかも知れない。
しかし、これは決して『奇なり』=『面白い』という等式を保証する諺ではない。
この世に平等などというものはなく、事実は常に冷酷だ。ヒトは死に、悪は滅びない。
映画はそんな恐ろしい事実を忘れ、現実を忘れさせてくれるものでなくてはならない。それがエンターテイメントというものだ。お金を払って観る価値がある。
…そもそも“ドキュメンタリー”って、ただの報道だろう。
『ドキュメンタリーだって映画だ』などとドキュメンタリーの地位向上に務める前に、あらゆる事実を報道できないマスメディアを呪うがいい。
少し話が脱線したが、ようするに映画はヒトの手で作り出したものでなくてはならないということだ。
どんなに荒唐無稽でご都合主義的なストーリーだろうと、誰かが他人を楽しませようと、ただそれだけの目的のために一生懸命考えた物語は、ただそれだけで尊く、美しい。
この映画“STAR WARS”もその一つである。
囚われの姫を助けるため、年老いた騎士とならず者のパイロットを連れて、悪の帝国に立ち向かう。家来はロボット。デコボコ・コンビ。
こんなに判りやすいストーリーもそうそう思いつかないモンだ。
主人公のルークが持つ光の剣『ライトセイバー』もカッコいい。
ちなみにこのライトセイバーはロトスコープという特撮技術を使って映像化している。
ロトスコープとは、特別難しい撮影技術のことではなく、フレーム毎に手書きでフィルムに描き込む手法のこと。
現在でも特撮業界のトップを爆走する『Industreal Light & Magic』が、揺るがぬ意思と鉄の如き忍耐力をもって、馬鹿みたいにひとコマひとコマ手で描いたのだ!
これぞ映画! これこそエンターテイメント!!
映画ファンの中には『いかにもハリウッド的で面白くない』とか抜かす連中も数多くいるが、「当たり前の展開」「当たり前の倫理」が面白くなくなったら人間オシマイである。
面白くなるまで繰り返し観るのだ!
…なにぃ!5回観たけど面白くない!?
まだまだ足りんわッ!!
僕の経験上、10回目以降が面白い!!!