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柴田宣史 | 簡易評価: いまいち | 見た日: 2010年06月20日 | 見た回数: 1回
この土曜日は家庭の事情で早く帰ることになっていた。もともとそのつもりではいたけれど、わりと仕事も順調に片がついたので、すこし尾内家に立ち寄って、仕事の進み具合や他愛のない話をした。そのなかで、話の流れにDAICON FILMが話題に出た。
僕が高校生だった頃、はじめて「トップをねらえ!」をみたとき、同時にDAICON FILMについても知った。なぜか「4」という数字だけが有名で、どうもアニメやSFが好きな人たちの中ではある種の聖体のような扱われ方のようである。でも、ビデオレンタル屋さんにおいてある訳でもないので、見ることもできない。
いろいろと噂だけは知っているのだ。「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の興行的失敗を埋めるべく「トップをねらえ!」がうまれたこと。そして、それらの作品を手がけているのは、そのDAICON IVなるものを作った人たちだと言うことは。
よく学校をさぼって行くおもちゃ屋さんには、ガレージキットというものがうっていた。それはプラモデルではない。パーツはやけにしろっちょい固まりで、歪んでいるからお湯につけて形を整え戻さないといけない。そういうものの中に、DAICONとかいた女の子の人形が混じっている。「きっとこれはその関係のなにかなんだろう。しかしいったいなんなんだ?」。
それから何年も経ち、動画をインターネットで見られるという時代がきた。なんといまではYoutubeでみられるのだ。そしてそれはこの土曜日で、丞二の家だったのだ。
初めて見るDAICON FILMは、あえて言おう。感動的だった。動かないアニメに日々不快感を感じている僕であるけど、動かすってことはこんなに楽しいことなんだ、という思いと、くだらないものが大好きな作り手の気持ちが押し寄せてくる、すごい作品だった。
DAICON IVの冒頭、ズゴックが出てくる。ズゴックが目につくからそれをいっちゃうけど、ズゴック以外もパロディばかりなのだ。でも、ガンダムというのは、本放送こそ知らないけど、70年代中盤に産まれた僕にとっては、かろうじて世代にちょっとかみ込んでいる意識がある作品で、それを「トップ」や「オネアミス」を作った人たちがパロディの題材にしている……。つまりそれほど世代の離れていない人たちの仕事が、あの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」なのだ。
やっぱり軽く打ちのめされて家にかえってきたのだが、どうしてももはや本質的には不必要なはずのルーツ探しがしたくてたまらなくなってしまい、翌日、この「トップをねらえ! 劇場版」を借りてきてしまった。
こんな恥ずかしいアニメを、妻と子どもと見るとは、おれはどうかしてるとも思うのだが、見始めて割とすぐにさめてしまった。劇場版、音声を撮り直してるのだ。この撮り直しのせいでぜんぜんチューニングがあわない。それに90分台でおさめるためにざっくざっく切っているのだけど、そして、切っている理由もわかるんだけど、これも気持ちの高揚を失速させる。
というわけで、長々とDAICON FILMについて書いちゃったけど、劇場版は、そんなに盛り上がらなかったなあ、ト。
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この土曜日は家庭の事情で早く帰ることになっていた。もともとそのつもりではいたけれど、わりと仕事も順調に片がついたので、すこし尾内家に立ち寄って、仕事の進み具合や他愛のない話をした。そのなかで、話の流れにDAICON FILMが話題に出た。
僕が高校生だった頃、はじめて「トップをねらえ!」をみたとき、同時にDAICON FILMについても知った。なぜか「4」という数字だけが有名で、どうもアニメやSFが好きな人たちの中ではある種の聖体のような扱われ方のようである。でも、ビデオレンタル屋さんにおいてある訳でもないので、見ることもできない。
いろいろと噂だけは知っているのだ。「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の興行的失敗を埋めるべく「トップをねらえ!」がうまれたこと。そして、それらの作品を手がけているのは、そのDAICON IVなるものを作った人たちだと言うことは。
よく学校をさぼって行くおもちゃ屋さんには、ガレージキットというものがうっていた。それはプラモデルではない。パーツはやけにしろっちょい固まりで、歪んでいるからお湯につけて形を整え戻さないといけない。そういうものの中に、DAICONとかいた女の子の人形が混じっている。「きっとこれはその関係のなにかなんだろう。しかしいったいなんなんだ?」。
それから何年も経ち、動画をインターネットで見られるという時代がきた。なんといまではYoutubeでみられるのだ。そしてそれはこの土曜日で、丞二の家だったのだ。
初めて見るDAICON FILMは、あえて言おう。感動的だった。動かないアニメに日々不快感を感じている僕であるけど、動かすってことはこんなに楽しいことなんだ、という思いと、くだらないものが大好きな作り手の気持ちが押し寄せてくる、すごい作品だった。
DAICON IVの冒頭、ズゴックが出てくる。ズゴックが目につくからそれをいっちゃうけど、ズゴック以外もパロディばかりなのだ。でも、ガンダムというのは、本放送こそ知らないけど、70年代中盤に産まれた僕にとっては、かろうじて世代にちょっとかみ込んでいる意識がある作品で、それを「トップ」や「オネアミス」を作った人たちがパロディの題材にしている……。つまりそれほど世代の離れていない人たちの仕事が、あの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」なのだ。
やっぱり軽く打ちのめされて家にかえってきたのだが、どうしてももはや本質的には不必要なはずのルーツ探しがしたくてたまらなくなってしまい、翌日、この「トップをねらえ! 劇場版」を借りてきてしまった。
こんな恥ずかしいアニメを、妻と子どもと見るとは、おれはどうかしてるとも思うのだが、見始めて割とすぐにさめてしまった。劇場版、音声を撮り直してるのだ。この撮り直しのせいでぜんぜんチューニングがあわない。それに90分台でおさめるためにざっくざっく切っているのだけど、そして、切っている理由もわかるんだけど、これも気持ちの高揚を失速させる。
というわけで、長々とDAICON FILMについて書いちゃったけど、劇場版は、そんなに盛り上がらなかったなあ、ト。