ザ・フォール/落下の王国 The Fall

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監督:ターセム・シン
出演:リー・ペイス、カティンカ・アンタルー
時間:117分
公開:2008年
キャッチコピー:
君にささげる、世界にたったひとつの作り話。
ジャンル:
アドベンチャーファンタジー

コメント一覧

石田憲司 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2010年06月23日 | 見た回数: 1回

監督は「ザ・セル」の人。
あの作品は映像はきれいやけど、話としてはなんか普通。なので今作も微妙かもなー。と若干マイナススタートだったのもよかったかもしれませんが・・・

いやー、予想以上によかった。

現実社会とおとぎ語の相関関係で成り立っているんですが、いいところで強制的に現実に引き戻される感じなど、印象としては「パンズ・ラビリンス」と似てるかな。
さすがにあの作品ほど圧倒はされなかったんですが、結構ジーンとさせられてしまいました。「おもしろかったねー。いいお話だったねー。」と万人受けするのはこっちかもしれません。

さすが精神年齢5歳児な僕だけあって、彼女目線でしたね。なんで急に現実に引き戻すんだ。話の続きは?続きは?
と、同時に娘を持つ父親目線で、純粋に話をせがみ、おとぎ話に真剣に向き合う娘の表情や行動に対し、愛情を感じちゃったりもしてしまうのですな。
いいなぁ。こういう風に二人でお話ししたいのだ。とかね。

おとぎ話自体も出来が良かったです。現実にそって作った恣意的なお話とはいえ、勧善懲悪のハッピーエンドになるだろうと、安心していたら、ロイの精神状態に引きづられてどんどんダークサイドに落ちて行っちゃうんで、わー、大丈夫?悲しませないで!と、ハラハラさせられましたし、最後なんてアレクサンドリアと共に「死なないでー!」ですよ。
はたして娘がもうちょっと大きくなったときに、こんな風に面白いお話を作って聞かせてやることが出来るかなぁ?と、ちと不安になりますね。

ラストの試写会、自分の出番がカットされていた時のロイの満足げな表情などもとても素敵でしたし、女の子のモノローグもまた、ちょいきれいすぎる気もしましたが、気持ちのよいエンディング。うーん。いい。

ということで、前述の「パンズ・ラビリンス」ほど衝撃はなかったですが、それでも面白さは決して引けを取らないいい作品でした。
評価としては文句なし「おすすめ」ってことで。
あーおもしろかった。

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2010年04月02日 | 見た回数: 1回

複数の飴細工がほかの飴細工に乗って、相互にバランスをとっているような不思議な作り。

  • 画がきれい
  • 構図がきれい
  • 衣装が面白い
  • お話の筋が良い
  • 表現や演出がかわいい
  • 着想が良い
  • 登場人物に親近感がわく

と、いいこと尽くめなんですが、それぞれがあんまり関係ないような印象になるのです。
みんな高い完成度で出来上がっているのに、わざわざ混ざらない絵の具で描いた絵を見ているよう。
なので、この「混ざらなさ」は、たぶん確信犯的なもので、ゆえに見終わった後に残るのが不思議な爽快感になってくれるのかなとおもうのです。

* * *

人間が絶対に自分の後頭部を直接見ることがないのと同じくらい確実に、スタントマンというのは映画の主役になりません。でも、鏡を使ったら後頭部を見られるのと同じく、この映画のような手法を使うと、スタントマンにスポットライトを当てることが出来ます。この心に傷を負った若いスタントマンは、当てつけ自殺の道具に少女を利用しようとし、少女の懐柔にかかります。その懐柔策がおとぎ話です。

だからお話もいい加減で、手近にいる人に適当な配役をして、子供に聞かせるのですが、どうもここで繰り広げられる非常に見栄えの良い世界を、この半ば捨て鉢な青年が丁寧に描写しているとはとても思えないのです。つまりこの画は、すべて少女の心の中で繰り広げられている画なのです。つまり何が言いたいかっちゅうと、きれいな映像と、このお話の本質は、たぶんあまり関係がないのです。

* * *

スタントマン、ロイの話は続いていきます。端々でちょっと面白いのは、少女が話を恣意的に導いていくところです。僕もよく娘に即興の寝物語をしますが、娘がお気に入りなのは、娘と弟が遊びにいって、お弁当を食べて帰ってくるたぐいの話です。この話の合間々々に娘が口をはさんできます。やれ、持っていくおやつにチョコを加えろ、帰ってきたらお母さんがお帰りって言うのだなど。また神のごとき集中力と、悪魔のごとき集中力のなさで、聞くときはジッと聞くものの、聞かないときにはほんとうに聞かない。本作でもこの辺りの少女の身の丈具合がまたよろしい。

で、娘と同じなのは、僕が意地悪をして、話を恐い方や悲しい方に持っていくと、「そんなふうな展開にしないで!」と怒るのです。

利己的な理由でおとぎ話をしているスタントマンは、でも、彼のために怪我を負う少女を目の当たりにして、とても後悔をします。もともと自己嫌悪の気持ちが募っているところに、少女の怪我だったので、かなり打ちのめされたのでしょう。頭に包帯を巻いて、続きをせがむ少女に対して、酒の力も借りながらなんとか話を絞り出すのですが、もう傷をあらわにされた青年は、少女の機嫌を取るようには話を進められないのです。はやく話を収束させて、この少女の前から消えなければなりません。でも、上手な電話勧誘を断るのがうまく行かないように、一度、物語のルールに乗ってしまったら、そのルールに沿ってでしか物語を脱出することは出来がたいのです。そしてそのルーラーである彼は、登場人物をつぎつぎと片付けていきます。少女は「こんな話は嫌!」と泣き続けます。そりゃあ嫌でしょうさ。でも、青年は話の軌道を変えることが出来ません。なぜなら一所懸命だからです。そして少女も一所懸命です。だから、見ているこちらは、悲惨な物語の展開にも関わらず、不快にならないのです。だって、誰も手を抜いている訳じゃないんですから。ここで起こっていることは少女と青年の闘いなのです。それは対決であり共闘です。青年は少女の助けを借りて、なんとか物語を収束させます。

* * *

ここでまた不思議な接合点があります。それは、スタントマンにスポットライトを当てたという点です。
物語を語る主人公が、スタントマンでなければ、この話はもっとずっとシンプルです。

最後のシーン、スタントマンの要望が通って、映画の試写会が病院で開かれます。少女もこの試写を見るのですが、青年が大けがをしたスタントシーンはなんと割愛されています。青年は驚くと同時になぜか受け入れます。この青年の演技の妙なのですが、たぶん観客たちが楽しんでいる様子を見て、シーンが割愛されたということへの驚きより、観客の喜びになにか意味を感じたのではという演出なのですが、彼の顔が現れるのはそれが最後です。

以降、少女のモノローグで話が進みます。「わたしはアクション映画が大好き」と、数々のスタントシーンを、「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストのキスシーンのように流します。憎めないからいいのですが、ふしぎに丸め込まれて映画が終わっていく印象です。

でもって、作品のタイトルは「the Fall」。んー、やっぱりスタントマンが主役であるのが大事なんだろうけど、僕にはターセム監督が、なにか映画を作るのにかこつけて、前から一度お礼を言いたかったから、スタントマンを主役にした、というように思いました。

しかし、いいのです。スタントマンが主役で。
だって、見終わった後の気分は良かったので。

* * *

そうそう、これを書いておかなきゃ。

僕は「なんだかキレイな映画らしい」くらいの前知識しかなかったのですが、奥さんは「『しゃべっている話が現実になる』みたいな話らしいよ。そういうの好きなの」とおっしゃっておられました。

なんとなく印象に残ったので。

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