死にぞこないの青

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監督:安達正軌
出演:須賀健太、谷村美月、城田 優、入山法子、瓜生美咲
時間:95分
公開:2007年
キャッチコピー:
目覚メヨ、残虐。
ジャンル:
ホラー

コメント一覧

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2019年10月27日 | 見た回数: たくさん

長女と長男はホラー映画耐性ができるまで結構時間がかかった。長男に至っては小学校6年生現在、まだちょっと敬遠傾向があるようだが、長女については、もお、大概どんなホラーでも平気な様子。

で、小2次女。この子がたいへんホラー耐性が身につくのが早く、けっこう怖いホラーでも平気で見ちゃって、ああだこうだ感想を言うようになった。

というわけで、本作視聴。

小2の娘としては、「こりゃ、ホラーじゃなくて、ふつーにいい話だね」とのこと。まあ、そうなんだけどさ。

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2011年05月13日 | 見た回数: 1回

うちの娘は「着信アリ」以降、すっかりホラー映画が怖くなったようだ。トイレのドアもあけて入るし、二階にいくときにはよく弟を連れて行っている。

いっぽう「「ポルターガイスト」は怖くない」ともいう。一見不思議に思えるかもしれないが、二つの作品を見てみると、これは割と納得がつくかもしれない。「着信アリ」は、一言でいうとホラーの中でも趣味が悪いのだ。たとえば後半の病院のシーン。ホルマリン漬けの子供の死体を部屋の中に差し出してくる風景などは、ストーリー上シーンにいっさいの意味はなく、ただ不気味なだけ。いっぽう「ポルターガイスト」は、いちおうおそろしいシーンにはそれなりに説明を付けられる。

大人だったら、その「趣味の悪さ」を楽しむこともできる。たとえば八つ裂きになった死体、残った腕がしっかりと携帯電話をつかみ胴体もないのに電話をかける。んー、なるほどそういう絵も面白いよね、と思う。

* * *

ただうちの娘くらいの子供には、そういう悪趣味を楽しむのはちょっと早かったみたい。「着信アリ」後半は怖すぎてパニックになってたくらいなので、この心のケアをどうしたらいいかな、と奥さんと考えていたところ、本作「死にぞこないの青」にばったりと出会ったので、タイトルもなぜか親近感がわくし、やはりホラーで受けた傷はホラーでしか癒せないので、これは好適だろうということで視聴。

他方、おくさんは「この子たちがどれくらい物語を追えているのかは疑わしい。意外に意味が分かっているのかもしれないし、ただ絵が連続して動いているだけとしてとらえているのかもしれない」とは懸念を示す。じつはそれは僕にはよくわかんない。わかんないけど、ただ本作については、それなりによいリハビリ効果があったようだ。

以下、読み解きネタバレなので、読み解きが妥当かどうかはさておき、本作を見る気があったら、読まない方がいいです。

ここから先はお話の核心に関わる記述があります。このリンクで読み飛ばせます。あるいは次の見出しにスキップしてください。

新米教師は、ある種のトラウマを抱えていて、この年齢に至るまで自分の存在を肯定しきれないでいる。つねに他者──よくある話だけど、つまり父──から嫌われることを恐れる心を、そのまま小学生たちに向けている。自分が小学生たちに嫌われないために、一人の少年を、自分以上に嫌われる存在に仕立てる。それがマサオくんだ。

それほど悪いことをしていないのに、悪役に祭り上げられていくマサオくんは、次第に幻覚と幻聴を経験する。それが<青>だ。彼にしか見えない<青>は、満身創痍で、縫い付けられた口、拘束服、隻眼といたれりつくせりの不自由さ具合。しかし、マサオくんが、<青>の縫い付けられた口の糸をほどくと<青>が話しだす。「死んでしまえ。さもなくば自分の頭で考えて戦え。大人が正しいなんて思い込むな。」。

「お前は誰だ?」と問うマサオくんに「おれはお前だ」とこたえる<青>は、まさにマサオくんの衝動であり、先生の逆えこひいきからエスカレートするいじめに対して、その衝動によって、いじめる子供たちに大ケガを負わせたりする。

そして、やはり諸悪の根源を倒さなければいけない。マサオくんと<青>──つまりマサオくんは、新米教師の家を突き止め、殺害を試みようとするが逆に捕まってしまう。しかし新米教師の方も負い目があるので、捕まえたところで何もできない。新米教師はマサオくんを殺して、山に埋めようと考える。

<青>の注意喚起により、睡眠薬入りのジュースを飲み干さず、かつボールペンという武器を手にしたマサオくんは、山中、すんでのところで反撃に打って出る。普通なら小学生が大人に勝てるはずはないが、急な斜面をもみあって転がり落ちたところで、マサオくんが有利になる。

うめく新米教師、石の固まりを持ち上げるマサオくん。

しかしマサオくんは、新米教師を殺すことなく、彼に話しかける(たぶん物語の途中で出てくるマサオくんの父の言葉を思い出したということもあるのだろうが)。そして新米教師も自分と同じように社会を恐れていたことがわかる(もちろんマサオくんはいじめられるまで、集団に対する恐怖を実感したことはないだろうが)。

怪我を負った新米教師のために、助けを呼びにいくマサオくん。それを制止する<青>。もはやはじめて会ったときのように満身創痍でもなく、両腕も拘束服から自由になっている。あんなやつはここで勝手に死ねばいいのだという<青>に対して、すでにそういう復讐の心が<青>であることに気づいているマサオくんは、「<青>なんていなくなればいいのに!」という。しかし同時に「<青>のことも忘れない」と。そして<青>に、あの新米教師を赦すことを伝える。

マサオくんが大人(新米教師)によって、自己不信に陥っていた束縛と、<青>の容姿は比例をするのだ。新米教師を赦すことで<青>の傷は癒え、清らかな<青>が、マサオを肯定する。

隠しテキストはここまでです。

* * *

ちゅうわけで読み解きながら進めると、典型的な児童文学的な構造だとわかります。

  • 一見美しいもの(新米教師)が悪であること
  • 一見醜悪なもの(<青>)だけが、マサオくんをずっと見守っていてくれていること
  • <青>というメタファ

正直、大人にはもの足らない話で、まずカタルシスを求めるには、あの新米教師はもっとひどい社会的制裁を受けなければ、子供のこころの傷(つまり映画を見ている自分の心の傷)と物語の帳尻が合わない。それにまあ、物語類型としてもさほど奇抜でもない(娘がいなければ、上述のような読み解きのメモも残さないでしょう)。だから評価もそんなにあがらない。べつにかっこいい絵がある訳でもない。そもそもカタルシスをもとめる作品ではないのですね。でも、こういうファンタジーだからこそ<青>という大胆なメタファを使うことができる。

* * *

そういうわけで今日は土曜日。僕は出勤してきたけど、むすめは朝食を終えるとすぐに「死にぞこないの青」を再生し始めてました。彼女なりに意味を汲み取ることができるといいなあとおもう。

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