ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 Life of Pi

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監督:アン・リー
出演:スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、アディル・フセイン、タブー、レイフ・スポール
時間:127分
公開:2013年
キャッチコピー:
なぜ少年は、生きることができたのか。
命を奪うのか、希望を与えるのか
ジャンル:
アドベンチャーアカデミー賞ドラマ

コメント一覧

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2022年09月02日 | 見た回数: 2回

動物好きの小5の娘のために再度試聴。

丞二とぼくの過去のコメントを見たけど、どちらもなるほど、という気持ち。過去のぼくの気持ちもよくわかる。

海、あいかわらず怖いけど、映像はやっぱり綺麗でした。

石田憲司 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2016年08月31日 | 見た回数: 1回

先に見てる方々のレビューに映画についてのいろいろは書かれているのでそちらを参考にしていただければと思います。
なるほど、そーいう考えがあるのだなぁ。

正直、僕はあまり宗教とかそのへんの深いことは考えず、単純に一大冒険活劇だ。という感覚でずーっと見てたんで、その点に関してはそりゃもう、綺麗な映像に壮大なはなし。虎と対峙する緊迫感。友情に似たものを感じてしまったりと、話も絵もとっても満足。

まぁ、大冒険のお話だろうと踏んでただけに、最後のあの「どちらが好き?」という展開はちょっと驚きでした。

いやね、多少そりゃ実話ベースではちょっと無理のある展開や映像。でも映画だし盛っていったほうが面白い。大きな画面で見てたらさぞや迫力もあっただろうと思われる虎ちゃんやクジラや嵐。それだけで話が成立してるじゃないですか。んなことない??

メインストリームのトラの話と、保険会社に語った少しリアルな話とそれぞれに信憑性も感じられて、涙を流したクダリも、はて、そりゃ何に対しての涙だい?と思ったもんですわ。
ふぅむ。どちらが真実だったとしても涙流せるしなぁ。
ただ、それらのいろんな点を考慮しても、やっぱりお話として、映画としてとっても満足でした。

見終わったあと、妙に思い出してたのは「ビッグ・フィッシュ」。作り話絡みでしょうかね?

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2013年08月04日 | 見た回数: 1回

丞二の読み解き、なるほどと思います。最後の謎解きはかなりいいなあと思ったのだけど、僕はそこまで読み解きをできなかった。

ので、サースティの読み解きの下りなど、僕が抜け落ちていた点を加味して簡易評価を上方修正します。

以下、いちおうネタバレ隠しをしますね。

ここから先はお話の核心に関わる記述があります。このリンクで読み飛ばせます。あるいは次の見出しにスキップしてください。

丞二の、ストーリーの読み解きについては、非常によくかけていて、よくわかるのだけど、信仰心云々については、残念ながら丞二の説明では、僕のなかには落ち着きませんでした。落ち着かないというよりも、好転しなかったというべきか。

パイの信仰心は、三つの宗教をないまぜにしてしまう、「信仰」というより、神秘主義といった方がいいようなものです。

三つの宗教を「尊重する」、という立場は、唯物論の中にも成立しうるし、もちろん信仰の中にも成立しうる。三つのうちの二つは、経典の民って言いますしね。

でも、三つの宗教を「信仰する」、ということはたいへんおかしなことです。これはほとんど、信仰を持たないことに等しい。そしてこの行為が、信仰も唯物論も、双方を馬鹿にした行為に思えるのです。それは信仰ではなく、ただ正体のない畏怖の念だと思うのです。

丞二は「信仰とは何かを考えさせる」と言っていて、この「<畏怖の念>が信仰である」というのなら、それはそれで百歩譲って納得してもいいのだけど、なんだか、やっぱりその描写が、僕には大変気持ちが悪いままなのですね。

これも創作の落とし子のようなもので、「三つの宗教を信仰する」ということを作者が思いついちゃって、つい書いちゃった、というように感じられてしまうのです。

僕は唯物論者だけど、宗教を大切にして、尊重しています。それは宗教の社会的機能や、心理的機能のよい側面を評価するからですし、畏怖の念を禁じ得ない、ということも僕なりに理解できるからです。

でも、この物語のように、自分を翻弄する超越した力に対する感情を押し付けられると、気分が悪いのです。それがわからないあなたって不感症ね、って言われてるみたい。

パイが、なんらかの信仰心を持っているからこそ、この物語はパイの罪を問うことで成立するのだけど、もっと別の描き方をしてくれれば、僕にとって、こんなに気持ちが悪いことにならなかったと思うのです。

また「神話がメインテーマ」だとのことですが、神話を神話たらしめる必須要素は「世界説明」です。本作にはまったく世界説明はなく、残念ながらメインテーマとは言いづらいと思います。

* * *

あと、信仰心どうのこうのとは関係なく、僕が、ほんとうに個人的に気分が悪かったのが、父の描写です。

作中、食卓で語る父と母の描写がたいへん気分が悪いんですね。「信仰を持たないものにはわからないのよ」という描写で父が哀れなものとして描かれます。正直、この「父」に強く感情移入してしまう。

また、同時に、トラの捕食風景を見せるシーンも、父の描写がつらい。そんなに父親を悪者に描かなくてもいいのに。

食卓の風景は、ほとんど柴田家の食卓の風景だったし、トラの捕食風景もホラー映画を見せる僕の行為みたいで、いちいちそれをバカにされているような気分がして、とても不快だったのも減点ポイントでした。そういうの、なんか悪いの? 文句があるなら、俺んとこに来い、と思ってしまう。

隠しテキストはここまでです。

僕は損をしている側だとは思うけれども、よい映画であっても、まさに玉に瑕で、上記2点のため、残念ながらもう一回見たいとは思わないなあ。

尾内丞二 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: | 見た回数: 1回

柴田とでべが「神さま映画」みたいな感想を述べていますが、かといって別に気負いすることなく、小さいお子さんでも充分楽しめる映画です。
海はキレイだしトラは可愛いし、なによりパイ自身の回想だから主人公が死ぬ心配もないし。

ここから先はネタばれ万歳…じゃなくて満載です。
観てないヒトは読まないでね。

ある程度の文化レベルを持った大人が観ればこの映画のメインテーマが“神話”だということはすぐに気が付く。
柴田は「信仰を持たない者を貶める描写」と表現したけれど、この映画のいったいどこでそんな卑屈な気持ちになったのかよく判りません。

僕は単に『信仰とは何かを考えさせる映画』だと思った。

生還したパイが日本の保険屋に事の顛末を話すシーンで、彼は2パターンの“真実”を語る。

パイ本人はトラが登場するバージョンこそ『真実』だと言うけれど、保険調査員を納得させるために『作り話』を語りだしたパイは、そこで初めて涙を流す。

…彼はどうして作り話なんかのために涙を流したのだろう?

それは母親がコックに殺され、自分がコックを殺した話の方こそ“事実”だからである。
漂流を始めて最初の数日間、リチャード・パーカーが全く姿を現さず寝息のひとつも立てないのも、トラがパイの中で眠る原始的な衝動のメタファーだったとすれば納得がいく。

パイはトラをリチャード・パーカーと呼ぶが、トラの本名は『サースティ(渇き)』である。
つまり原始的な衝動をリチャード・パーカーと呼び、理性を保ったままのパイ自身は信仰に渇いた『サースティ』というわけだ。

トラの話が空想だったとすると、ヒトの形をした浮島でのエピソードも途端に納得がいく。

かつて初恋の女の子にした「森の中に蓮の花は咲くの?」という間の抜けた質問が、浮島の森に咲く蓮の花のエピソードを作りだしたのだ。

…蓮が木に咲くのは彼女が踊る神話の中だけである。

だからパイは彼女にもらったブレスレットを島に残していく。
道に迷った人間を殺す森…過去の郷愁に囚われて未来をもを食いつくすであろう神話と決別するために。

物語の最後にパイが「これは神の物語だ」と言う。
このセリフはつまりトラと漂流した体験談の方こそ作り話であり、世にある神話もまた作り話だという意味だ。

嵐にのまれて遭難し、目の前で母親を殺された凄惨な事実をありのまま受け入れることができなかったパイは、その物語全体を自分が了解可能なファンタジーに置き換えたのである。
パイは恐ろしい漂流体験を通して『神話ってのは多分、みんなそういうものなんだ』ということに気が付いたのだろう。

もちろんこれは決して、作り話の神話なんかには価値がないと言っているのではない。

「どっちの話が本当なんだい?」
と質問するカナダの物書きに、パイは質問で応える。

「どっちの話が好きだった?」

本当か嘘かが物語の価値そのものとは無関係なのと同様に、実在するか否かの答えもまた、神さまという概念の価値を左右するものではないのだ。

僕自身は信じる神を持っていないけれど、胡散臭さを感じさせずに『信仰とはなにか?』を深く考えさせてくれたこの映画はとても良い映画だと思う。

柴田宣史 | 簡易評価: まあまあ | 見た日: 2013年08月04日 | 見た回数: 1回

すばらしい映像美。また、最後にさし挟まる挿話がなかなかよいテンスを出しているのだけど、僕にとってはカミサマ、カミサマうるさくって、気持ちがどんどん下がっていっちゃう。

くれぐれも信仰心があかんとか、非合理的であかんとかでなくって、たとえば「マザー・テレサ」だって、何の文句もないのだけど、本作で描かれる信仰はなんだかヘンとしかいいようがない。うまく言えないが、「なんであろうと信仰心を持たない者を貶めるための描写」──つまり唯物論批判としての宗教に感じられてしまう。

まあ、そう感じる僕が損するだけなんで、広く一般には、きっと受けの良い映画なんだろうなあ、と思います。

でべ | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2013年06月30日 | 見た回数: 1回

奇妙な映画だった。
いや、でも、とても良かった。

見終わってもすがすがしい気持ちにはならず、どちらかというと混乱してもやもやする。でも嫌な感じはなく、そこに答えがない代わりにどう解釈するかを問われているようで、自分の考えをひけらかすのではなく、他にも見た人がいたら、その人と話をしてみたいと思った。

ああだからこそ、下手なことは言いたくないので。

ここから先はお話の核心に関わる記述があります。このリンクで読み飛ばせます。あるいは次の見出しにスキップしてください。

なんでこんなふうに思うのか。

救命ボートに残された虎と青年の食うか食われるかのサバイバル映画、のつもりだったのに、ずいぶんがっつり神さまのはなしだったから。

神さまとの距離感がわたしにわからないせいか、まさに劇中に登場する日本人と同じように、わたしも当惑して考え込んでしまう。でもこれが先に書いたようなサバイバル映画だったら「まあまあ」止まりだったろうな、と思う。

丞二と長々とあれこれ解釈合わせをしたのも面白かった。

隠しテキストはここまでです。


ついでに、フルCGの虎も見事だったけど、神秘的な水の演出に見入ってしまう映画でした。

リンク

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