ザ・マスター THE MASTER

画像表示切り替え

Amazon で ザ・マスター を買う

監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ローラ・ダーン
時間:138分
公開:2012年
ジャンル:
ドラマ

コメント一覧

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2022年07月07日 | 見た回数: 1回

丞二に勧められたので試聴。「しんどいよ」と言いつつ勧められたので、ちょっと心の準備はできた状態だったのだけど、それなりにヘビー級のお話なので、いったん「なかなか」で。

第二次大戦後、心に傷を負って、アル中になってしまったフレディ(ホアキン)は、まともに仕事に就くこともできずに彷徨っていた。そんなとき、宗教じみた啓発団体の「マスター(指導者)」であるトッド(F. S. H.)とその妻(エイミー)と出会う。フレディはこの啓発団体と行動を共にするようになり、自分の心の傷とも向き合うようになっていく……。

というような導入。

夜中の2時に見終わって、丞二にショートメッセージを送信。

「ザ・マスター」、特殊な友情の物語と感じました。新興宗教はホアキンとフィリップの関係の隙間を埋めるラポール形成の場であって、そこには狂信的な不気味さもなく、でも賛美もしない演出だと感じました。でもビビッドに描かれているのは、ふたりの関係を理解できないエイミー・アダムスがいる……という構図かなと見えました。

朝起きたら、このショートメッセージに対して、丞二から無茶苦茶長いお返事があり、この読み解きが、まあ、すばらしかったのです。丞二が許可してくれたので、全文を転載します。
ものすごいネタバレでもあるので、隠しておきます。

ここから先はお話の核心に関わる記述があります。このリンクで読み飛ばせます。あるいは次の見出しにスキップしてください。

僕の解釈はちょっと違ってて、肝は『ホフマンがマスターではない』という点に早めに気づくかどうかだと思います。

マスターはエイミー・アダムスです。

これはホフマンがエイミーの顔色を伺っている描写や、詐欺だとイチャモンをつけられた直後にはエイミーの方がイライラを抑えきれない様子などからも推測できます。

だから自己啓発セッションでエイミーが代役を勤めた時の方が劇的な効果があるし、出版記念の会でホフマンはファンの質問に答えられず激昂します。本当は自分が書いた本ではないからです。

背後からチンコをしごくシーンが物語後半に入っているのも、普通に『エイミーがボスだよ』という種明かしだと思います。

女性の権力者が歓迎されなかった大戦直後の時代に、エイミーが表向きの影武者として用意したのがホフマンで、つまりホフマンとホアキンは同じ『弟子』同志だったからこそ強い連帯感が成立したのだと考えられます。

そしてその絆を糧にホアキンは影武者を追い越して、もう一人のマスターにまで成長していきます。

元カノの母親との会話シーンでは、その時にはもう自分自身だけでなく他人の心の動きまで思い通りに制御できている様子が実に巧妙に描かれています。

映画の最後では妊婦だったエイミーのお腹がしぼんでいますが、雰囲気から察するに死産だったのではないかと思います。

つまりイギリス支部でエイミーが不満と嫌悪感を隠そうともしないのは、男の友情を冷ややかな目で見ているなどという生ぬるい物ではなく、母親という名の支配者になれなかったばかりか、傀儡の影武者の方がマスターとしての実績を上げた事に対する激しい嫉妬であり、また、支配欲が満たされなくなった事から来る禁断症状だったのだと思います。

どのみちホフマンはエイミーの支配からは解放されないけど、自分の同志であり弟子でもあったホアキンを祝福と共に新しい人生へ送り出して映画は幕を閉じます。

『次の人生で君は私の敵になるだろう』
というセリフは、意外と来世の話などではなかったのかも知れません。

…みたいな角度でもう一度観てみると、次は違った印象になるかもよー。

隠しテキストはここまでです。

こういう読み解きに関しては、「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」の丞二のコメントがすばらしいので、あわせておすすめです。

リンク

同じ監督が撮っている映画