バニラ・スカイ Vanilla Sky
画像表示切り替え監督: | キャメロン・クロウ |
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出演: | トム・クルーズ、ペネロペ・クルス、カート・ラッセル、キャメロン・ディアス、ジェイソン・リー |
時間: | 136分 |
公開: | 2001年 |
ジャンル: サスペンス、ドラマ |
コメント一覧
尾内丞二 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2010年02月12日 | 見た回数: とてもたくさん
柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2009年11月02日 | 見た回数: 2回
悪夢を題材にした映画といえば、「エルム街の悪夢」は措いておいて、やはりデビット・リンチの「イレイザーヘッド」と、「バニラ・スカイ」(「オープン・ユア・アイズ」)でしょうか。夢オチもとことん作り込むと、きちんとお話しになるという好例かと思います。
見直してみて、あいかわらずペネロペ・クルズは怖いものの、美人が2人も出るし、えろいし、楽しい映画だなーと思うのですが、やっぱり最上評価にいきにくいのはなぜかなと考えてみました。
この映画の主題は、言わずもがなの「悪夢」です。で、理想的な夢を悪夢にかえていくのは、「潜在意識」だと説明されます。でも、重要な鍵であるにも関わらず、映画では、その「潜在意識」がいったいなんなのかということについては、わりとさらっと扱われます。
シャロー・フロイディアンだったら、どうせエンターテイメント映画なのだし、理想の父親像であるカート・ラッセルの手引きでゼロサムになるのだから、序盤で語られる「偉大な父」を、影響力の強い「潜在意識」として、適当に解釈しておけばいいじゃん……とかいうことになるかもしれませんが、どうもそれだと、父親の扱いがいい加減な分、話が浅くなっちゃうように思うのです。
理想の父も、基本的にはトム・クルーズを肯定することしかしません。夢を歪ませるようなほどの強い存在であれば、もっと強烈な存在としての父が出てきてもいいのではないでしょうか。つまり父親像の振れ幅が少ないのです。
映画の中では、キャメロン・ディアズへの扱いについて、一遍の後悔も示されません。むしろ、ただ「あのとき、車に乗らなければ」ということだけです。またトム・クルーズがよりどころにする「ひとはいつでもやり直せる」という言葉も、どういう彼女自身の人生の文脈でその台詞を語ったのかよくわからないペネロペ・クルズの台詞です。
とすれば、理想的な夢を悪夢に変質させたのは、キャメロン・ディアズへの「恐怖」だと考えるのが妥当ではないでしょうか。が、それが妥当だとしても、そのようにはあまり描かれてもいない。
また屋上のシーンは夢ではあるが現実世界である状態が絶妙に描かれますが、ここで「愛を知る」といえば、うつくしいのですが、この彼女も独我論的な世界の中にいる虚ろな存在です。もちろんなにかの概念に目覚めるというのは内的な爆発なので、独我論的な世界の中での気づきが、気づくこと一般の本質なのかもしれませんが、ここでのペネロペ・クルズの役割は、やっぱり「これから自分の欠点を克服する俺」を肯定することですよね。でも実は「リセットして夢を続けるのでなく、現実の世界に帰る」ことのモチベーションが甘いままなので、「こんな怖い所とはオサラバしたい」くらいしか、高所恐怖症を克服する意味が感じられない。つまり彼は傲慢なまま始まって、傲慢なまま終わるのです。
んー、書いてみることで、なにが釈然としないかは僕にとっては明らかになったのですが、でもほんとに全く同じ作品である「オープン・ユア・アイズ」への同じ批判が成り立つんでしょうね。
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2008-7-8 記述分
僕はたしか、さきに「オープンユアアイズ」を見たのだったかな?
「リメイクはインプリティング」の法則もあって、バニラスカイは、よくできているものの、「よくできたリメイク」という印象でした。
それにしても双方に出ているペネロペ・クルズが、僕にとっての悪夢のようで、それが怖かったです……。
石田憲司 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2008年07月07日 | 見た回数: 3回
個人的には元のオープンユアアイズよりも楽しいかな。トムクルーズのはにかんだ笑顔がいつもちょっと笑えてならないのが不思議です。
恐怖を感じる対象はヒトそれぞれだ。
僕の知人に「時々オバケが見えて怖い」というヤツがいる。
それはそれで確かに怖いのだろうが、僕には何とも間抜けな恐怖だなーと感じてしまう。
言っている本人も“それ”は実在しない物だと判っているらしいから尚のコト。
ありもしない恐怖に怯えるヒマがあったら、実在する恐怖に戦慄すべきだと思うからである。
僕にとって『実在する恐怖』の代表は『他人』だ。
何を考えているか確実に理解する方法が皆無で、付き合い方次第では自分を殺すこともある存在。これほど身近で恐ろしいものは他にない。
この映画の主人公は大金持ちのボンボンで、ルックスもいいから女の子にもモテモテ。心配事などなにもなく、順風満帆の日々を過ごしている。
しかし車の事故で顔の半分が潰れてしまい、それを期に人間関係もうまくいかなくなってしまう。
“なぜだか上手くいっている人間関係”は、“なぜだか判らない理由”で破綻する。ある日、突然。
そして一度制御を失った関係は、どんな手を尽くしても回復しない。
この映画を見た者の多くは『キャメロン・ディアスが怖い』と言う。
…その意見には違う次元で僕も賛成なのだが、僕が本当に恐怖を感じたのは『酒場で猫の鳴きまねをするシーン』である。
主人公のディヴィッドがおどけて猫の鳴きまねをするのだが、目の前にいる女の子との関係が完全にコントロールを失っているため、彼女にはその鳴きまねが恐ろしく聞こえてしまう。そして本当に恐ろしいのはここからで、当のディヴィッドは『それに気づいていない』のだ。
この悲劇は程度にもよるが、我々の身にも日常的に起こりえる。
劇中で“監視員”が言う。
『コントロールを取り戻せ。以前は簡単に出来ていたことだろう?』
この忠告は人間関係に悩む全ての現代人にも当てはまる。そして彼らはコントロールを取り戻せない。
柴田が言うように、ディヴィッドの夢を悪夢に変えた潜在意識の正体は最後まで明らかにされません。映画のラストまでディヴィッドは自分の中の“恐怖の種”を放置し続けているのです。…が、映画的にはそれで正解。恐怖はその原因が判明した途端に恐怖ではなくなってしまう。
ディヴィッドは、それらの『実在する恐怖』と対決する為に夢を終わらせる決心をするのだ。だからこそ“高所恐怖症の克服”をトリガーにしたのである。「その他大勢の問題と向き合う覚悟があるなら、まずはその一つを今ここで克服しなければならない」というワケだ。
確かに『よくできたリメイク』ではありますが、それだけで片付けるにはあまりに惜しい映画です。
BGMの選曲とか構成や演出(いくつかは前作と全く同じですが…)などの『映画の作り』的な話をすればほぼ完壁。物語ラストにカート・ラッセルが『それでもボク、実在するんだもん!!』とダダをこねる数カットだけが余計かな?
L.E.プログラムのティルダ・スウィントンとノア・テイラーも驚くほどに「人間じゃない」し、“インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア”ばりにナルシストなトム・クルーズも堂に入っている。
…それにしても怖いなぁ。キャメロン・ディアス。
「マスク」とか「メリーに首ったけ」ではあんなに可愛かったのに…。