バベル Babel
画像表示切り替え監督: | アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ |
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出演: | ブラッド・ピッド.ケイト・ブランシェット.ガエル・ガルシア・ベルナル.役所広司.菊地凛子.二階堂智.アドリアナ・バラッサ |
時間: | 143分 |
公開: | 2006年 |
ジャンル: ドラマ |
コメント一覧
陰下洋子 | 簡易評価: ざんねん | 見た日: 2009年05月16日 | 見た回数: いっちょかみ
柴田宣史 | 簡易評価: ざんねん | 見た日: 2008年11月03日 | 見た回数: 1回
僕には消費者としての自由があり、この作品に対してはその自由を行使しようと思う。その自由とは「つまらない映画を二度見ない権利」だ。
ほとんど、ジブリの「ゲド戦記」と同格のひどさである。中途半端な警句をちりばめて、適当に不幸に作っておけ、という感じ。
1家族に1日の間に起こった出来事の豊富さとしては、おもしろいくらい、てんやわんやなことが起こる。おもしろい、と書いたのは、あまりこういう「皮肉」をいわないようにしようと思っていても出てしまう皮肉である。奥さんがモロッコで戯れの銃弾で被弾、アメリカで留守番している乳母と子供たちは砂漠で遭難、不幸もこれだけ盛りだくさんだと、不幸と認識できず、かえって陳腐である。なんだよ「アメリカ人は危ないからアメリカからでないようにしよう」っていう啓発映画ですか? アメリカ以外安全な国はない、というメッセージですか?
また、うっとおしいほど、日本、モロッコ、メキシコでは性欲描写をして、アメリカだけ役目御免というふうなのも不愉快である。その性欲描写の物語における構造上の必要性はなんですか? 聾者が不完全な自分を、破瓜で超えようとする、そういうことがあっても別にいいけど、この話の中にそれが必要なんですか? また、それを描くとしても、なんであんな常軌を逸した人間像をもちだすんでしょう。あんなふうな必然性の薄い描き方をしたら聾者というか、身体障害者は身体に障害がある故に、精神的にもおかしい存在のように見えるじゃないですか。まだ「江戸川乱歩の一寸法師」のほうが、慮ることが可能な悲哀を描いていて100倍マシだといわざるを得ない。モロッコでは弟に欲情させる姉まで出てきて、後進国の性欲実態について、なにかしょうもない誤解を告白しているように思えてなりません。
もしかしたらモロッコでは、少年が相手でも逃げるんだったら、警察が撃ち殺すかもしれないんでしょうね。足を撃ったらとりあえず動きが止まるのはわかるでしょう。でも、きっとモロッコだから、追撃するんですね。でもってモロッコの子供は愚かだから兄が撃たれるまで、反撃が愚策だってことがわからないんですね。
メキシコの描写もひどい。せっかくの結婚式なんだから楽しそうにとればいいのに、わざと薄汚く撮って、祝砲に実弾を使ったりなど、不安をかき立てるような挿画をちりばめる。いかにもアメリカ白人の子供たちがいたら危なそうに描くのだ。そんなにアメリカ以外の土地は薄汚くて危険ですか?
かろうじてアメリカ人の子供の無垢さの描写についてほころびが見えるシーン(ニワトリの屠殺)があるが、命を食べるということから距離を置かれた子供たちの気づきとかなんとかいうのもちょっと入れてみましたくらいのもので、しかもなんだかそれは大事な仕事であるのに、不安の雰囲気を演出されて描かれるのだ。アレハンドロ・ナントカって、馬鹿じゃないの。もう愚かな乳母と一緒にこの監督も砂漠でのたれ死んでしまえといいたくなる。
最後に乳母が国外退去を申し渡されるときにも、こちとら一顧だに同情の気持ちもわかない。そんな国(臆面もなくこんな映画を作る国)から、出られてよかったねという気持ちだ。世界が不完全なことなんか、こんな映画に、ヘタクソに描写されなくたって新聞読んでるだけでわかりますよ、だ。
さんざん書いたが一個だけ同情すると、トレイラーで描かれているシーンでもあったと思うが、
アメリカ人男性:妻はどうなんだ?
通訳:(アラビア語で「容態は?」と聞く)
医者:(アラビア語で「弾丸は運良く脊椎にあたらなかったが、出血が多くて危険だ」とこたえる)
通訳:(アラビア語で「命に別状はない」とつたえる)
アメリカ人男性:嘘をつくな、もっと何か言ってるだろう!
のやりとり。こんなシーンをみたら、このシーンにはいっさい本質はない(*)けど、あー、バベルっぽいよね、とおもいますわな。まあ、そもそもこんなくだらないシーンを入れてる映画だから、やっぱり同情の余地はないか。
*通訳の問題というのは、意味を100%伝えることだけではないから、もしそういうことを意味として込めるのだったら、もっときちんとやるべき。素材は違うが、まだソフィア・コッポラのまぐれあたり、「ロスト・イン・トランスレーション」のほうが、言葉の通じない国で出会った二人の思いを、通じない言葉たちが包むような雰囲気の方が、みていて気持ちがよい。
うまく思いが伝わらないということを描くのだったら、もっとマシな方法がたくさんあるだろう。人間の悲しい性を描くのだったらシェイクスピアのように喜劇にしてもらった方が、まだ心の中に置き場所もあるというものだ。こんな駄作に「バベル」なんていう名前はもったいないから、返上してほしいくらいです。
柴田さんがすべてを語ってくれています。