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柴田宣史 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2016年11月12日 | 見た回数: 1回
とてもよい映画化でしたが、同時に夾雑物が気になる映画でもありました。愚痴を書くので、愚痴を読みたくない人は読み飛ばしてください。
佐々木くんがたいへん熱心にプロモーション活動をしていたので、僕には珍しいくらい、映画を観る前に映画の周辺情報が入ってきていたのですが、主役のすずの声優が、なんだか不遇な女優さんなんだそうです。
で、いろんなひとがTwitterで、その不遇な女優さんを応援する立場からツイートしているのを見たのですが、映画を見ていると、その応援が頭の片隅にチラチラして、集中を阻害しました。
監督自身も、こんなことを言っちゃう。
『ローマの休日』がワイラーの映画だと思う人は世の中にどれくらいいるだろうか。でも、『ローマの休日』はオードリー・ヘプバーンの映画だ、みんな知っている。映画ってそういうものなんだ。『この世界の片隅に』は のん の映画であってよい。そうあるときこの映画は幸せを手に入れたことになる。— 片渕須直 (@katabuchi_sunao) 2016年11月11日
『ローマの休日』がワイラーの映画だと思う人は世の中にどれくらいいるだろうか。でも、『ローマの休日』はオードリー・ヘプバーンの映画だ、みんな知っている。映画ってそういうものなんだ。『この世界の片隅に』は のん の映画であってよい。そうあるときこの映画は幸せを手に入れたことになる。
のんという人物になにも含むところはありませんが、ぼくは「のんの映画であってよい」に違和感があります。なんでそれが「映画の幸せ」なんでしょうか。
* * *
「マイマイ新子と千年の魔法」を見たときも、「アリーテ姫」を見たときにも思ったけど、ああ、この監督は、真面目で丁寧な人なんだな、という印象なんです。
でも、僕は、「真面目で丁寧」なのは、あまりよい褒め言葉ではないとも思っています。「真面目で丁寧」なのは、要領の悪い人、生産性の低い人に残された、数少ない生存戦略に思えるのです。僕自身、ある程度、丁寧にやらなければ、すぐに社会にとって不要になってしまうという実感があります。
この映画は、徹頭徹尾、どこを切っても片渕氏の仕事に見受けられます。ぼく、誰が監督か聞かずにみても、監督を当てられるような気さえします。「真面目で丁寧」──華(はな)のない作品を作るけど、実(み)のある作品を作る彼らしい作品です。
彼のような人は社会に必要だと思いますが、本作のプロモーションに関しては、この不遇な女優さんについて、僕は一切知らずに見たかったと心底残念です。
片渕監督のツイートにそういう意図はないのかもしれませんが、「のんの映画であってよい」は、技巧的な責任放棄にも見えます。よかないですよ。「すずの映画」なんだもの。なんで、そんな女優さんを引っ張り出してきて、もちあげるのにこの映画を利用するみたいなことをするんでしょうか。「いい仕事をした声優」。それは首肯します。でも、それ以上でもそれ以下でもない方が良いです。
もうひとつ不快なこと。
この映画、たくさんの応援ツイートを読みました。でね、「戦争反対の映画としてみないでほしい」というような論調のツイートが多いんですわ。
「戦争反対」や「平和を訴える」作品に説教くさいものが多いから、垢抜けないものが多いから、「そういうのとは違うよ。構えずにたくさんの人が見てね」という意味で言っているとは思うのだけど、これもなんだか本質的でないような気がして、苦手な考え方です。
あきらかに戦争について考えさせられる映画なんだから、そういえばいいのに。
映画の感想というより、作品についての感想なんですが、ぼく、すずのセリフで、すごく印象に残っているものがあります。
ここに5人残っている。まだ左手も両足もある。
玉音放送を聞いた後のセリフです。こんなに奪われた、失われたのに、戦争に勝てないってどういうことだ。せめて最後まで闘えよ……ということが、重く伝わってきます。
この映画を見た直後、「日本のいちばん長い日」を見たんです。なんとなく。そちらの感想はそちらに預けますが、戦争がいろいろと割に合わないものだと思いつつも、やってきたことが無為になることは誰しもつらいことでしょう。この、すずの言葉は、忘れがたいなあと思います。
基本的に原作をうまいこと編集したなあと思いますが、いくつかエピソードはハツられていました。でも、きっとみんな好きなセリフの、
よいよいらん事するわ 出来てしもうたら帰らにゃいけんじゃろうが こんな絵じゃ海を嫌いになれんじゃろうが
がハツられてなくてよかったです。
おすすめの作品なのは、間違いありません。でも、上述の通り、不快な点もある作品でした。それらは作品とは関係がないので、まあいいのですが、僕にとっては、すこし呪われてしまったなあと思います。残念です。
そうそう、スタッフロールはよかったです。きちんと佐々木くんの名前も確認できました。
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とてもよい映画化でしたが、同時に夾雑物が気になる映画でもありました。愚痴を書くので、愚痴を読みたくない人は読み飛ばしてください。
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佐々木くんがたいへん熱心にプロモーション活動をしていたので、僕には珍しいくらい、映画を観る前に映画の周辺情報が入ってきていたのですが、主役のすずの声優が、なんだか不遇な女優さんなんだそうです。
で、いろんなひとがTwitterで、その不遇な女優さんを応援する立場からツイートしているのを見たのですが、映画を見ていると、その応援が頭の片隅にチラチラして、集中を阻害しました。
監督自身も、こんなことを言っちゃう。
のんという人物になにも含むところはありませんが、ぼくは「のんの映画であってよい」に違和感があります。なんでそれが「映画の幸せ」なんでしょうか。
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「マイマイ新子と千年の魔法」を見たときも、「アリーテ姫」を見たときにも思ったけど、ああ、この監督は、真面目で丁寧な人なんだな、という印象なんです。
でも、僕は、「真面目で丁寧」なのは、あまりよい褒め言葉ではないとも思っています。「真面目で丁寧」なのは、要領の悪い人、生産性の低い人に残された、数少ない生存戦略に思えるのです。僕自身、ある程度、丁寧にやらなければ、すぐに社会にとって不要になってしまうという実感があります。
この映画は、徹頭徹尾、どこを切っても片渕氏の仕事に見受けられます。ぼく、誰が監督か聞かずにみても、監督を当てられるような気さえします。「真面目で丁寧」──華(はな)のない作品を作るけど、実(み)のある作品を作る彼らしい作品です。
彼のような人は社会に必要だと思いますが、本作のプロモーションに関しては、この不遇な女優さんについて、僕は一切知らずに見たかったと心底残念です。
片渕監督のツイートにそういう意図はないのかもしれませんが、「のんの映画であってよい」は、技巧的な責任放棄にも見えます。よかないですよ。「すずの映画」なんだもの。なんで、そんな女優さんを引っ張り出してきて、もちあげるのにこの映画を利用するみたいなことをするんでしょうか。「いい仕事をした声優」。それは首肯します。でも、それ以上でもそれ以下でもない方が良いです。
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もうひとつ不快なこと。
この映画、たくさんの応援ツイートを読みました。でね、「戦争反対の映画としてみないでほしい」というような論調のツイートが多いんですわ。
「戦争反対」や「平和を訴える」作品に説教くさいものが多いから、垢抜けないものが多いから、「そういうのとは違うよ。構えずにたくさんの人が見てね」という意味で言っているとは思うのだけど、これもなんだか本質的でないような気がして、苦手な考え方です。
あきらかに戦争について考えさせられる映画なんだから、そういえばいいのに。
隠しテキストはここまでです。
* * *
映画の感想というより、作品についての感想なんですが、ぼく、すずのセリフで、すごく印象に残っているものがあります。
玉音放送を聞いた後のセリフです。こんなに奪われた、失われたのに、戦争に勝てないってどういうことだ。せめて最後まで闘えよ……ということが、重く伝わってきます。
この映画を見た直後、「日本のいちばん長い日」を見たんです。なんとなく。そちらの感想はそちらに預けますが、戦争がいろいろと割に合わないものだと思いつつも、やってきたことが無為になることは誰しもつらいことでしょう。この、すずの言葉は、忘れがたいなあと思います。
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基本的に原作をうまいこと編集したなあと思いますが、いくつかエピソードはハツられていました。でも、きっとみんな好きなセリフの、
がハツられてなくてよかったです。
おすすめの作品なのは、間違いありません。でも、上述の通り、不快な点もある作品でした。それらは作品とは関係がないので、まあいいのですが、僕にとっては、すこし呪われてしまったなあと思います。残念です。
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そうそう、スタッフロールはよかったです。きちんと佐々木くんの名前も確認できました。