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石田憲司 | 簡易評価: ざんねん | 見た日: 2014年09月23日 | 見た回数: 1回
いや、人によっては悪くないじゃないか。とか思ったりするのかもしれませんがね、どーもこりゃダメでしたわ。
第何回か初期の頃の「すべらない話」で、当の本人が語ったさまざまなエピソードの数々と、その突拍子もない、まさに「事実は小説より・・・」な話にそりゃもう笑わせてもらったわけですわ。
その後それが面白いからということで自伝的な小説となり、その映画化となったわけです。確かにそれぞれのエピソードは忠実に描かれて入るし、原作小説のとおりに描いているのかもしれないんですが・・・。
まず、そもそも「小池徹平」ではないのだよ。 まず設定では中学生なんですが、すこしは「おっぱいバレー」の彼らを見習ってもらいたいものです。 全然中学生に見えないし、また中学生のあるべき姿の演出もない。逆に彼がでてることで、妙に親近感を失うというか現実感が乏しいというか、とにかくリアリティの欠如が助長されているように思うのだ。「ラブ★コン」に出てた時もちょっと違和感があったんですが今回ん作品はこりゃひどい。
何つったらいいかな?よくあるアイドル映画がどんな状況でもキレイに化粧して美しく描かれているというかなんというか、そんなのですよ。小池徹平もアイドルだし、それについて別段文句はないんですよ。ですがこれはあえて言いたい。そもそもなぜこの作品にアイドルを使うのか。 純粋に客寄せパンダという立ち位置以外に彼を抜擢する要素が見つからない。作品作る側のキャスティングの会議の状況を聞いてみたいものです。
その点で言うと、池脇千鶴ちゃんは演技の巧さかね?そんなに違和感のない存在感。ということは、てっぺいくんの演技自体に問題があるだけで、作品は悪く無いということか?
いえいえ。そうは問屋がおろさない。世の中には映画化・映像化してうまくいく話ってのは多々あるわけですが、一方で本だから。とか、マンガだから良いのだ。という話も同数以上に多々あるわけです。 じゃ、どうするか。原作を超えられないのはしかたがないので、いっそ別の話にしてしまえという「ドラゴンボールEvolution」みたいなトンデモ作品も生まれるんですが、この作品のたちの悪いところは、微妙に原作(話)の面白さを演出しつつ、突き抜けるでもなく。ちょっとしっとりまとめようという、なんともいやらしさを感じちゃう。
んー。なんと言ったらいいのかな?「自虐の詩」の時に感じた原作の意図に反した改変?おかげさまで大した感動作品でもなけりゃ、元々の面白い要素にも悪影響を及ぼしてるというかなんというか・・・。
なんかまとまりませんな。ということで、無理矢理にも文章をまとめるとしたら「芸人さんは偉大」&「感動や悲しい要素とお笑いの共存は難しい」ってとこかなぁ。
イッセー尾形さんを見れたのはちょっと嬉しかったし、ひさしぶりに原作(の、しゃべくりね。小説じゃなくって)聞きたくなったんですが、やっぱり評価としては「残念」付けるしかないかなー。
注:変な思い入れのない、ほかの人だったら別段なにも気にせず見れると思いますよ。その感覚で見れば「まあまあ」かな。
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いや、人によっては悪くないじゃないか。とか思ったりするのかもしれませんがね、どーもこりゃダメでしたわ。
第何回か初期の頃の「すべらない話」で、当の本人が語ったさまざまなエピソードの数々と、その突拍子もない、まさに「事実は小説より・・・」な話にそりゃもう笑わせてもらったわけですわ。
その後それが面白いからということで自伝的な小説となり、その映画化となったわけです。確かにそれぞれのエピソードは忠実に描かれて入るし、原作小説のとおりに描いているのかもしれないんですが・・・。
まず、そもそも「小池徹平」ではないのだよ。
まず設定では中学生なんですが、すこしは「おっぱいバレー」の彼らを見習ってもらいたいものです。
全然中学生に見えないし、また中学生のあるべき姿の演出もない。逆に彼がでてることで、妙に親近感を失うというか現実感が乏しいというか、とにかくリアリティの欠如が助長されているように思うのだ。「ラブ★コン」に出てた時もちょっと違和感があったんですが今回ん作品はこりゃひどい。
何つったらいいかな?よくあるアイドル映画がどんな状況でもキレイに化粧して美しく描かれているというかなんというか、そんなのですよ。小池徹平もアイドルだし、それについて別段文句はないんですよ。ですがこれはあえて言いたい。そもそもなぜこの作品にアイドルを使うのか。
純粋に客寄せパンダという立ち位置以外に彼を抜擢する要素が見つからない。作品作る側のキャスティングの会議の状況を聞いてみたいものです。
その点で言うと、池脇千鶴ちゃんは演技の巧さかね?そんなに違和感のない存在感。ということは、てっぺいくんの演技自体に問題があるだけで、作品は悪く無いということか?
いえいえ。そうは問屋がおろさない。世の中には映画化・映像化してうまくいく話ってのは多々あるわけですが、一方で本だから。とか、マンガだから良いのだ。という話も同数以上に多々あるわけです。
じゃ、どうするか。原作を超えられないのはしかたがないので、いっそ別の話にしてしまえという「ドラゴンボールEvolution」みたいなトンデモ作品も生まれるんですが、この作品のたちの悪いところは、微妙に原作(話)の面白さを演出しつつ、突き抜けるでもなく。ちょっとしっとりまとめようという、なんともいやらしさを感じちゃう。
んー。なんと言ったらいいのかな?「自虐の詩」の時に感じた原作の意図に反した改変?おかげさまで大した感動作品でもなけりゃ、元々の面白い要素にも悪影響を及ぼしてるというかなんというか・・・。
なんかまとまりませんな。ということで、無理矢理にも文章をまとめるとしたら「芸人さんは偉大」&「感動や悲しい要素とお笑いの共存は難しい」ってとこかなぁ。
イッセー尾形さんを見れたのはちょっと嬉しかったし、ひさしぶりに原作(の、しゃべくりね。小説じゃなくって)聞きたくなったんですが、やっぱり評価としては「残念」付けるしかないかなー。
注:変な思い入れのない、ほかの人だったら別段なにも気にせず見れると思いますよ。その感覚で見れば「まあまあ」かな。