ブラック・スワン BLACK SWAN

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監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセル、ミラ・クニス、バーバラ・ハーシー、ウィノナ・ライダー
時間:109分
公開:2010年
キャッチコピー:
純白の野心は、やがて漆黒の狂気に変わる…
ジャンル:
サスペンスドラマ

コメント一覧

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2017年02月26日 | 見た回数: 3回

娘とちょっと視聴。監督の趣味はやっぱり好きなんだけど、カメラワークで酔うのは禁じえませんでした。

陰下洋子 | 簡易評価: なかなか | 見た日: | 見た回数: 1回

相方が寝てしまったので、音声無しの字幕のみで視聴。
そのせいか(文字に集中ってこと)イッチョカミストの私ですが、最後まで一気に見ることができました。
心理的にグイグイと押されていって本番のステージで最高潮になるテンポも気持ち良く、引き込まれました。
でも、バレエのシーンなんかは音楽と合わせて見た方が楽しめたかな? と、ちょっと後悔。

神がかり的なと言えばいいのか、往ってしまったと言えばいいのか。
何かに操られて、自分で自分におどろくぐらい、実力以上の実力を発揮してしまった経験ってないですか?
数少ないですが、その時の高揚感を思い出して、ちょっとゾクゾクきました。
プレッシャーがかかるのは嫌だけれども、なにかそこに落ちていくのも、美しく快感かなとも思います。

映画とは関係ないけど、横でグーグー寝てた相方は、カラスがばたばたと騒いで血がポタポタおちてくる夢を見たそうです。違う意味でゾクゾクしました。

スポ根?
んー、全く感じませんでした。どちらかというとバレエの身のこなしが美しいなーと。

でべ | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2011年09月24日 | 見た回数: 1回

スポ根ホラー※。

アカデミー賞ノミネートで注目を集めたせいで、日本では大作映画のように広報されていたけど、配給はフォックス・サーチライト・ピクチャーズだし、インディペンデント・スピリット賞の2010年作品賞だし、実は生粋の低予算映画。
でも安っぽさよりも小さいチームらしい作り手の気迫と密度がびんびん伝わってきて、それが作品の緊張感をぎゅううっと高めていて、良し悪しよりも、とにかく圧倒されまくりの2時間でした。

ラストシーンがステージっていうのは、いやがおうにも盛り上がるし美しくまとまるので、ズルいなあとは思うのだけど。ただ今回の舞台に存在するのは明るい解放や華やかな未来ではなく、みている私たちにも安堵はない。緊張感と興奮が入り混じった状態で、エンドロールが終わって丞二に話しかけるまで息ができなかった。

余談。
インディペンデント・スピリット賞の授賞式でナタリー・ポートマンがにこにこしながら「バレエのレッスンに行くたびに『先月の月謝がまだなんだけど』といつ先生に言われるかとヒヤヒヤしたわ」というようなことを言っていて、映画の怖さと、そのほんわかした現場の一言が対象的でより一層、好感が持てた、気がする。

※たしかに「スポ根」ではないかもですが、だからこそ「スポ根ホラー」と言いたいの。没個性な主人公、不幸な家庭環境、厳しいコーチ、恵まれた才能を持つライバル、これだけばっちりスポ根要素で構成されたホラー映画ってことで。よろしく、いしださん。

柴田宣史 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2011年10月20日 | 見た回数: 1回

性欲はまんじゅうのアンコのようなものだ。けだるく重く、甘く、暗く、そして隠されている。芸術のみならず、なにか自分を吐露するように表現するときには、恐ろしいほどの存在感を持つ。自分の表現が、めざすものに届かないとき、性欲に理由を求めるのは、ある意味間違っていない。

他方、「完璧さ」という概念がある。この映画の主人公は、精確ではあるけれど完璧でないことを苦しむ。「白鳥の湖」を理解するということは、精確であるということでは表現できない。主人公は、「完璧さ」への鍵は、まんじゅうのアンコの奥底に隠されていると考え、そこに手を突っ込む。

わからんではないけど、おかげで全編ずっとエロエロで、いくら映画の性表現に寛容な柴田家でも、娘が寝ててよかったと思ってしまいました。

* * *

芸術家はみんな病んでるということはないけど、何かを病んでいる作品というものは得てして魅力的でもある。程度の差こそあれ、誰しもが抱える病を、なんらかのかたちで表現されるというのは、心地よいものだからだろうか。

が、じゃあ病んでいない、いわば<健全な美>というものがないかというとそうでもないだろう。でも、きっとその健全な美は、自分の奥底の闇の中を凝視する作業から産まれるものでなく、他者との関わりの中から生まれていくのではないだろうか、と思う。どうせ社会から離れて生きていくようにはできていない生き物が健全であるというのは、社会とうまくやっているからじゃあないだろうか。個人が病むというのは、究極的には他者との関係に病んでいるといえるのかもしれない。

ゆえに、本作の主人公が、最後に「感じたわ。完璧だった。」というのだけど、これが誰かに同意を求めているのでなく、独白であることが象徴的に思われる。彼女は他者との関わりの中に完璧さを見つけたのでなく、葛藤やマスターベーションの中にファナティックな美しさを見いだす。そう考えると、最後、観客席に見つけたのは、ほんとうに母だったのだろうか。彼女の完璧さの中において、欠けてはいけないピースだったというだけではないだろうか。

しかし、その内向きの追求が、なんとなくプリマの放つ孤高な異彩に似つかわしいような気もする。バレエマンガって怖いのが多いけど、やっぱりバレエ自体、ちょっと怖い世界なのかも。

* * *

ところで、白鳥と黒鳥って、一人二役なもんなの? 奥さんと読んでたバレエマンガでは、「オディール役はXXが……」みたいな台詞があったような気がしたのだけど、例によってWikipedia(白鳥の湖)によれば、

通常オデット(白鳥)とオディール(黒鳥)は同じバレリーナが演じる。

のだそうな。ふーん。知らなかった。

* * *

どうしても言いたいので言っちゃうのだけど、本作、踊っている間、舞台を縫うようにカメラが動いて、まるで自分の群舞のひとりのような視点に立てるのはなかなか新鮮なんだけど、この手法を、たとえばニナ(ナタリー・ポートマン)が、舞台と関係なくうろうろ歩くだけのシーンでも使うので、こちとら酔っちゃうの。なんとかならんのかなあ。

* * *

あと石田さん、これ、スポコンものじゃないよ! 気をつけて!

追記:ちなみに予算は1,000万ドルほどのようで、「トレマーズ」くらいみたいですね。たしかに低予算映画の仲間ですね。

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