薔薇の名前 Le Nom de la Rose
画像表示切り替え監督: | ジャン=ジャック・アノー |
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出演: | ショーン・コネリー、クリスチャン・スレーター、F・マーレイ・エイブラハム |
時間: | 131分 |
公開: | 1986年 |
ジャンル: サスペンス |
コメント一覧
石田憲司 | 簡易評価: なかなか | 見た日: 2015年02月17日 | 見た回数: 1回
柴田宣史 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2010年09月23日 | 見た回数: 2回
一回目にみたときには、なんというか石田さんの「大人へのあこがれが変質したフランス映画病(失礼?*1)」とはちょっと違うけど、僕なりのあさましい知的功名心への指向があって、ウンベルト・エーコかー、みると賢くなるのかしらとかいうヘンな下心でみたことが思い出されます。
で、そんな下心があるもんだから、当時はちゃんと楽しめなかったのです。でも、今回、思うところあって見直したら、これがおもしろい。
あえて、メイキング中のナレーションをもじると、
20年前ジェームボンドを演じた男が、中世のシャーロックホームズになる。
というのがぴったりの娯楽作品でした。
* * *
「ダ・ヴィンチ・コード」なんかでも魅力的に描かれる素材だけど、歴史の長い宗教というのは、往々にして秘密を持っている。宗教の権威を脅かすような事実は隠さなければならないからだ。
この映画では、それが主たるテーマではないのだけど、やっぱりある事実を秘匿するという目的が、殺人事件の鍵になっている。
以下、面白かった箇所を引用するけど、探偵ものでは御法度のネタバレにあたるので、同時に隠しておきます。
ウィリアムが真相に迫り、司書のホルヘ長老に詰め寄るシーンです。
長老が「書かれなかった本」と言っていた、アリストテレス『詩学』第2部の古写本を、ウィリアムに渡します。
そして、この本はページの端に猛毒が塗布してある必殺の本です。
キリスト者であれば、命と引き換えに読むはずのその本を、ウィリアムは手袋をして読むことで、死を免れます。
# どうしてもこの不謹慎な妄想を捨てきれないので、書いちゃいますが、ここで、ウィリアムが手袋を舐めたら、とってもバカバカしい映画になっておもしろいなあ……ト。
ウィリアム:喜劇論は他にもあるのに なぜ この本を恐れる?
ホルヘ長老:アリストテレスだからだ
ウィリアム:なぜ それほど 笑いを警戒する?
ホルヘ長老:笑いが恐れを殺せば もはや信仰は成立しなくなる
民衆が悪魔を恐れなければ 神は必要ない
ウィリアム:だが本を隠しても 笑いはなくならない
ホルヘ長老:そのとおりだ
笑いは民衆の中に生き続ける
だが この本の存在が世間に知れたら
何でも笑い飛ばせると 公式に認めたことになる
神を笑うことが許されれば 世界はカオスに戻ってしまう
だから私が封印するのだ
語られてはならぬ
「アリストテレスだからだ」のひとことに、暗い重さがあります。権威によってなる身は、まさに権威を恐れるのでしょう。
隠しテキストはここまでです。
* * *
それにしても、むかしの僕が、いくら知的功名心にうかされていたからといって、この映画をすなおに楽しかったーと言えなかったかというと、たぶんタイトルに惑わされていたというところもあると思うのです。
「薔薇の名前」──ふたをあけてみれば、語り手であるアドソの想い人を指し示すただの言葉であり、映画を楽しむという点から考えれば、(暴論だと怒られるかもしれませんが)さほど気にする必要はないのです。
メイキングで確認できますが、バスカヴィルのウィリアムが、写本師のページの端に「枯れてもなお残るは 薔薇の名前」という一節をメモしたものをみとめるシーンがあったようですが、カットされています。そのカットも、きっと娯楽作品として楽しむということを考えると、意味深長にとれすぎるからという理由なのではないでしょうか?
エーコの原作を読めば、きっとまた違った意味をくむことができるのだろうなとは思いますが、まだご覧になってない方にとっては、そういうのは捨象して、ぜひ、純粋に中世宗教世界を舞台にした良質の探偵ものとして味わってもらえたらと存じまする。
- *1 本人に確認をとったところ、「大人へのあこがれ」じゃなくって、「映画に詳しい人っぽい」ことへのあこがれだそうです。おわびして訂正します。ぺこり。
ではなくって「ヘンリー・ジョーンズ」(←誰かわかりますよね)な印象が強いんですね。わずか1作しか出てないのにです。
そんな彼が「ダ・ヴィンチ・コード」するってので、ワクワクと期待しながら見てみましたよ。ちょっと期待値が高すぎたのかもしれませんが、十二分に楽しませていただきました。
なるほど、ショーン・コネリー版のホームズねぇ。 でもってワトソンくん(というより小林少年)役はクリスチャン・スレーターだったんですね。
キリスト教の教会内部の禁忌だったり、何かと隠したい諸々の情報が多々ある中で、その頂点があれってのは面白い反面、そ~いうものかなぁ、とちょっと難しく考えちゃったりもしますね。それ自体はさすがに制御するのはむずいですよね。支配者からすると。ん?論点ずれてるかな?
ともあれ、曇りがちなどんよりした絵の中で、導く人という印象も、諦観も与えつつ謎解きしていくショーン・コネリーが見れたのもうれしかったです。
もうちょっと謎を解いた時の「パカーーー!」というひらめきぐあいが僕にも感じられたらオススメだったかなぁ。一緒に謎解きしてる感じは「ダ・ヴィンチ・コード」の方が感じられ多様に思います。作られた時代も違うんで、単純に比較したもんじゃないとは思うんですがね。
や~、満足満足。ちょっと理解が追いついてない部分が僕の中で有るんで、次回の視聴を睨みつつ「なかなか」にしてますが、フツーにオススメ作品でいいかなと。