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柴田宣史 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2000年02月02日 | 見た回数: 1回
以下、映画部発足よりずっとまえ、この映画を見た直後に書いたメモです。ずいぶん長い上のけっこう細かい筋を話してしまっているので、ご注意ください。
キャメロット・ガーデンという、アメリカの田舎の高級住宅地と、そこから少し離れたところにある森が舞台です。 キャメロット・ガーデンには、広大な敷地があり、一軒一軒がとても広い庭を持っています。そして、それぞれの庭一面に芝が植えてあります。そこら中で、スプリンクラーが回って、主人公の一人であるトレント青年は、その広大な芝を機械で刈って生活しています。トレントは、ガーデンでなく森にバスを改造した粗末な小屋を建てて住んでいます。 もう一人の主人公である10歳の少女の名前は、デヴォン・ストッカードといいます。 デヴォンは家族と一緒にガーデンに住んでいます。父親は政治家か何かをしているようで、体裁や風評を気にしています。家族は、比較的最近引っ越してきたようで、新しい町でいい立場に立ちたいと思っています。娘であるデヴォンにクッキーを持たせて近所周りをさせます。 デヴォンは、クッキーを持たされるのですが、近所周りなどする気ははなからなく、ただクッキーを持って遠くまで行きます。ガーデンを出て、しばらくいくと森の中に、誰もいない、バスを改造した小屋を見つけます。デヴォンは、自分の知っている昔話をもじって、一人その話をしながら、小屋に忍び込みます。ある少女が、バビヤガという怪物に森で出会い、それから逃げる昔話です。デヴォンは、ことあるごとにこの話を思い出します。 少女が忍び込んでまもなく、トレント青年がガーデンでの仕事を終えて、帰ってきます。これが二人の出会いです。少女は青年に追い出されますが、青年に興味を覚えます。 デヴォンは、母親の不貞を知っています。デヴォンの母親は、ガーデンの若い男の人と浮気しているのです。父親は、デヴォンが自分の役に立つように育つことだけを気にしています。デヴォンには同い年の友達はいません。デヴォンはトレント青年のところによく遊びに行きます。 トレント青年はデヴォンの訪問を喜びません。はじめにうっとおしがるのは、ただ単に邪魔くさかったからだけかもしれません。しかし、大きな理由は、トレント青年が前科者であり、キャメロット・ガーデンに住む人たちが、そんな人間がガーデンの少女と会うことを知ったら、収入源であるガーデンでの芝刈りの職を失うかもしれないからです。デヴォンが遊びに来て、デヴォンをガーデンに送るとき、トレント青年は、人目に付かないようデヴォンをキャメロット・ガーデンのゲートの前でおろします。 デヴォンは心臓を病んでいて、胸からおなかにかけて大きな手術跡を持っています。トレント青年は脇腹に散弾銃で撃たれた傷を持っています。デヴォンとトレント青年はどんどん仲良くなります。 デヴォンの母親の浮気相手は、時々ガーデンに来ては芝を刈るトレント青年を嫌っています。トレント青年が、パムというかわいい女の子をものにしたという噂を聞いたからかもしれないし、ただ単に、よそ者が嫌いなだけかもしれません。浮気相手の友達の青年は、たぶん同性愛者で、トレント青年に興味を持っています。彼はこわいドーベルマンを飼っています。 ガーデンに住む人の一人にいたずら好きの少年がいます。その少年はガーデンでいたずらの限りを尽くしているのですが、そのいたずらの一つが、この青年二人組を怒らせます。しかし、青年二人組は誰がそのいたずらをしたのか分からず、でも、トレント青年がしたのだと決めつけ、腹立ちまぎれに、トレント青年の芝刈り機に砂糖を入れて、芝刈り機を故障させてしまいます。そして途方に暮れて帰ろうとするトレント青年を止めて、嫌がらせをします。トレント青年が、少し反抗すると、もともとトレント青年に気がある方が、いじめようとする浮気相手の手を引かせます。トレント青年が「俺に何を望む?」と聞くと、彼は「何ならしてくれるんだ?」と聞きます。トレント青年は黙って彼にキスをします。そのときに、彼の飼っていたドーベルマンが逃げます。 芝刈り機が壊れ仕事が成り立たなくなったトレント青年は、遊びに来たデヴォンをつれて、彼の両親のところへ行きます。肺を患って死にかけている父親と、その妻はもう若くなく、ふたりは年金で生活をしています。 主人公は仕事がダメになったことを伝えますが、両親はトレント青年の仕送りがなくてもやっていけると、主人公を元気づけます。父親は死にかけている身から、トレント青年に、形見に、朝鮮戦争時代、自分が枕にしていたアメリカ国旗を持っていけと言います。トレント青年は形見をいやがります。たぶん、「死ぬ父親」というものを実感したくなかったのではないかと思います。 その帰り、あの逃げたドーベルマンが草原を走っているのを見つけます。デヴォンは、ふざけて「車で追いかけよう」といいます。トレント青年は車で追いかけるのですが、ドーベルマンを轢いてしまいます。わざとです。車から降りて、まだ死んでいない犬を見ると、デヴォンに「目をふさいでいろ」と言って、犬にとどめを刺します。デヴォンはとどめを刺しているのを見て、取り乱して車からかけおり、キャメロット・ガーデンに逃げ帰ります。トレント青年は、犬の死体をアメリカ国旗に包んで、ガーデンのゲートにおいて帰ります。 ガーデンに着くと、デヴォンは母親に今までのことを話します。「犬を殺したからもう友達じゃない」と、デヴォンは母親に服を脱いで傷をさわらせたことを話します。犬の死体も発見され、デヴォンの案内で、デヴォンの父と、警官、そして例の犬の飼い主である青年が、森に向かいます。 トレント青年のうちにつくと、大人たちはトレント青年をリンチします。そして、ひどいリンチの最中、見るに耐えかねたデヴォンが、父親の車に積んであった拳銃で、リンチをしていた青年を撃ちます。 全員が呆気にとられている中、デヴォンはトレント青年を立たせ、車に乗せて、クシとタオルを渡します。「追ってがきたら、タオルを投げて。まだ追ってくるようだったら、クシを投げて。」と言います。デヴォンの好きな昔話の中で、バビヤガにおわれた少女は、魔法のクシとタオルの力で逃げるのです。「タオルを投げれば、川があふれて追っ手をくい止めてくれるわ。クシを投げれば、深い森が生えて追っ手をくい止めてくれるわ。」。トレント青年は車を走らせて、そこを立ち去ります。 人を撃った娘について、「これは事故だということにしよう」と、保身を考えている父親を後目に、デヴォンは、以前にトレント青年といっしょに赤いリボンで飾り付けた木に登り、走り去るトレント青年を見送ります。 橋を渡るトレント青年は、車から川にタオルを投げます。川は見る見るうちに増水し、橋を水で覆います。橋を越えてしばらくしてから、道路にクシを放ります。すると、アスファルトの地面を割って針葉樹林がむくむくと生えます。 デヴォンは木の高いところから、それを見て、静かに満足して映画は終わります。
原題の意味は、LAWNが「芝」で、DOGSは直訳すれば、「犬たち」になりますが、DOGSBODYなどで、「したっぱ」や「使用人」の意味合いがあり、DOG自体にも人を表す意味合いがあります。だから、原題は「芝刈り男」くらいなのかもしれません。芝を刈ってるのは、トレント青年一人だけなのですが、「DOGS」と、複数形なのはなぜだか分かりません。 とても好きな映画なのですが、最後にクシやタオルが実際に魔法を起こすところがとても好きです。このシーンまで、いわゆる特撮のようなものはありません。だから、僕たちの人生に今まで、魔法的なことが全然起こらないのととても似ているような気がするのです。 もう一点、このシーンを忘れられない理由は、これが彼女の夢であるということです(明確に「夢である」とは描かれていませんが)。少女が夢を見ることは誰にも止められません。この彼女の、自分勝手な、禁じられることのない夢を共有することで、彼女の罪を共有する。そのために、僕はこの映画を忘れられないのだと思います。 トレント青年はほとんど冤罪のような前科を持ち、しかし、やはりそれはれっきとした前科で、トレント青年の人生をつらいものにしています。排他的な住人たちの住むキャメロット・ガーデンで、馬鹿にされ、恋人であるパムにも、どうどうとはつき合ってもらえていません。仕事をなくし、リンチを受け、友達であったデヴォンとの日々もなくしてしまう彼に、ぼくは、劇中彼が語る「おおきくなったら」の夢である「どこか、キャメロット・ガーデンから遠くに行きたい」という願いをかなえさせるような、最後の魔法がうれしくてしょうがありません。
もしかしたら、人の感動などというものは量産ができるもので、「いじめられたやつが、最後にちょっと救われたらうれしい」なんてのは、その供給者の思惑にまんまとのせられているだけなのかもしれませんが、それでも、うれしいものはうれしいのです。
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以下、映画部発足よりずっとまえ、この映画を見た直後に書いたメモです。ずいぶん長い上のけっこう細かい筋を話してしまっているので、ご注意ください。
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キャメロット・ガーデンという、アメリカの田舎の高級住宅地と、そこから少し離れたところにある森が舞台です。
キャメロット・ガーデンには、広大な敷地があり、一軒一軒がとても広い庭を持っています。そして、それぞれの庭一面に芝が植えてあります。そこら中で、スプリンクラーが回って、主人公の一人であるトレント青年は、その広大な芝を機械で刈って生活しています。トレントは、ガーデンでなく森にバスを改造した粗末な小屋を建てて住んでいます。
もう一人の主人公である10歳の少女の名前は、デヴォン・ストッカードといいます。
デヴォンは家族と一緒にガーデンに住んでいます。父親は政治家か何かをしているようで、体裁や風評を気にしています。家族は、比較的最近引っ越してきたようで、新しい町でいい立場に立ちたいと思っています。娘であるデヴォンにクッキーを持たせて近所周りをさせます。
デヴォンは、クッキーを持たされるのですが、近所周りなどする気ははなからなく、ただクッキーを持って遠くまで行きます。ガーデンを出て、しばらくいくと森の中に、誰もいない、バスを改造した小屋を見つけます。デヴォンは、自分の知っている昔話をもじって、一人その話をしながら、小屋に忍び込みます。ある少女が、バビヤガという怪物に森で出会い、それから逃げる昔話です。デヴォンは、ことあるごとにこの話を思い出します。
少女が忍び込んでまもなく、トレント青年がガーデンでの仕事を終えて、帰ってきます。これが二人の出会いです。少女は青年に追い出されますが、青年に興味を覚えます。
デヴォンは、母親の不貞を知っています。デヴォンの母親は、ガーデンの若い男の人と浮気しているのです。父親は、デヴォンが自分の役に立つように育つことだけを気にしています。デヴォンには同い年の友達はいません。デヴォンはトレント青年のところによく遊びに行きます。
トレント青年はデヴォンの訪問を喜びません。はじめにうっとおしがるのは、ただ単に邪魔くさかったからだけかもしれません。しかし、大きな理由は、トレント青年が前科者であり、キャメロット・ガーデンに住む人たちが、そんな人間がガーデンの少女と会うことを知ったら、収入源であるガーデンでの芝刈りの職を失うかもしれないからです。デヴォンが遊びに来て、デヴォンをガーデンに送るとき、トレント青年は、人目に付かないようデヴォンをキャメロット・ガーデンのゲートの前でおろします。
デヴォンは心臓を病んでいて、胸からおなかにかけて大きな手術跡を持っています。トレント青年は脇腹に散弾銃で撃たれた傷を持っています。デヴォンとトレント青年はどんどん仲良くなります。
デヴォンの母親の浮気相手は、時々ガーデンに来ては芝を刈るトレント青年を嫌っています。トレント青年が、パムというかわいい女の子をものにしたという噂を聞いたからかもしれないし、ただ単に、よそ者が嫌いなだけかもしれません。浮気相手の友達の青年は、たぶん同性愛者で、トレント青年に興味を持っています。彼はこわいドーベルマンを飼っています。
ガーデンに住む人の一人にいたずら好きの少年がいます。その少年はガーデンでいたずらの限りを尽くしているのですが、そのいたずらの一つが、この青年二人組を怒らせます。しかし、青年二人組は誰がそのいたずらをしたのか分からず、でも、トレント青年がしたのだと決めつけ、腹立ちまぎれに、トレント青年の芝刈り機に砂糖を入れて、芝刈り機を故障させてしまいます。そして途方に暮れて帰ろうとするトレント青年を止めて、嫌がらせをします。トレント青年が、少し反抗すると、もともとトレント青年に気がある方が、いじめようとする浮気相手の手を引かせます。トレント青年が「俺に何を望む?」と聞くと、彼は「何ならしてくれるんだ?」と聞きます。トレント青年は黙って彼にキスをします。そのときに、彼の飼っていたドーベルマンが逃げます。
芝刈り機が壊れ仕事が成り立たなくなったトレント青年は、遊びに来たデヴォンをつれて、彼の両親のところへ行きます。肺を患って死にかけている父親と、その妻はもう若くなく、ふたりは年金で生活をしています。
主人公は仕事がダメになったことを伝えますが、両親はトレント青年の仕送りがなくてもやっていけると、主人公を元気づけます。父親は死にかけている身から、トレント青年に、形見に、朝鮮戦争時代、自分が枕にしていたアメリカ国旗を持っていけと言います。トレント青年は形見をいやがります。たぶん、「死ぬ父親」というものを実感したくなかったのではないかと思います。
その帰り、あの逃げたドーベルマンが草原を走っているのを見つけます。デヴォンは、ふざけて「車で追いかけよう」といいます。トレント青年は車で追いかけるのですが、ドーベルマンを轢いてしまいます。わざとです。車から降りて、まだ死んでいない犬を見ると、デヴォンに「目をふさいでいろ」と言って、犬にとどめを刺します。デヴォンはとどめを刺しているのを見て、取り乱して車からかけおり、キャメロット・ガーデンに逃げ帰ります。トレント青年は、犬の死体をアメリカ国旗に包んで、ガーデンのゲートにおいて帰ります。
ガーデンに着くと、デヴォンは母親に今までのことを話します。「犬を殺したからもう友達じゃない」と、デヴォンは母親に服を脱いで傷をさわらせたことを話します。犬の死体も発見され、デヴォンの案内で、デヴォンの父と、警官、そして例の犬の飼い主である青年が、森に向かいます。
トレント青年のうちにつくと、大人たちはトレント青年をリンチします。そして、ひどいリンチの最中、見るに耐えかねたデヴォンが、父親の車に積んであった拳銃で、リンチをしていた青年を撃ちます。
全員が呆気にとられている中、デヴォンはトレント青年を立たせ、車に乗せて、クシとタオルを渡します。「追ってがきたら、タオルを投げて。まだ追ってくるようだったら、クシを投げて。」と言います。デヴォンの好きな昔話の中で、バビヤガにおわれた少女は、魔法のクシとタオルの力で逃げるのです。「タオルを投げれば、川があふれて追っ手をくい止めてくれるわ。クシを投げれば、深い森が生えて追っ手をくい止めてくれるわ。」。トレント青年は車を走らせて、そこを立ち去ります。
人を撃った娘について、「これは事故だということにしよう」と、保身を考えている父親を後目に、デヴォンは、以前にトレント青年といっしょに赤いリボンで飾り付けた木に登り、走り去るトレント青年を見送ります。
橋を渡るトレント青年は、車から川にタオルを投げます。川は見る見るうちに増水し、橋を水で覆います。橋を越えてしばらくしてから、道路にクシを放ります。すると、アスファルトの地面を割って針葉樹林がむくむくと生えます。
デヴォンは木の高いところから、それを見て、静かに満足して映画は終わります。
原題の意味は、LAWNが「芝」で、DOGSは直訳すれば、「犬たち」になりますが、DOGSBODYなどで、「したっぱ」や「使用人」の意味合いがあり、DOG自体にも人を表す意味合いがあります。だから、原題は「芝刈り男」くらいなのかもしれません。芝を刈ってるのは、トレント青年一人だけなのですが、「DOGS」と、複数形なのはなぜだか分かりません。
とても好きな映画なのですが、最後にクシやタオルが実際に魔法を起こすところがとても好きです。このシーンまで、いわゆる特撮のようなものはありません。だから、僕たちの人生に今まで、魔法的なことが全然起こらないのととても似ているような気がするのです。
もう一点、このシーンを忘れられない理由は、これが彼女の夢であるということです(明確に「夢である」とは描かれていませんが)。少女が夢を見ることは誰にも止められません。この彼女の、自分勝手な、禁じられることのない夢を共有することで、彼女の罪を共有する。そのために、僕はこの映画を忘れられないのだと思います。
トレント青年はほとんど冤罪のような前科を持ち、しかし、やはりそれはれっきとした前科で、トレント青年の人生をつらいものにしています。排他的な住人たちの住むキャメロット・ガーデンで、馬鹿にされ、恋人であるパムにも、どうどうとはつき合ってもらえていません。仕事をなくし、リンチを受け、友達であったデヴォンとの日々もなくしてしまう彼に、ぼくは、劇中彼が語る「おおきくなったら」の夢である「どこか、キャメロット・ガーデンから遠くに行きたい」という願いをかなえさせるような、最後の魔法がうれしくてしょうがありません。
隠しテキストはここまでです。
もしかしたら、人の感動などというものは量産ができるもので、「いじめられたやつが、最後にちょっと救われたらうれしい」なんてのは、その供給者の思惑にまんまとのせられているだけなのかもしれませんが、それでも、うれしいものはうれしいのです。