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金 克美 | 簡易評価: おすすめ | 見た日: 2009年09月29日 | 見た回数: 1回
いやぁ、いい映画でした。キャッチとパッケージの説明だけ読んでると、母を訪ねて三千里の女の子版?とおもっちゃってたんだけど、なんのなんの。
時代は1960年代中頃で、公民権法ができたばかりのアメリカ。人種間の差別が生む白人と黒人の双方が持つ「怒り」と、両親の愛を知らずに育った子どもの「怒り」を、同じ人間が内包する「怒り」として描き、怒りを持つ自分を「許す」というところにたどりつくのです。
こういう「許し」という概念がでてくるのが、キリスト教文化がバックボーンにない私なんかには、そういうふうに考えることができるのだと新鮮な気持ちにさせてくれました。
仏教だとこういう怒りも煩悩のうちで、「さとり」を開くという別次元の精進ができていない自分をせめるっていうことになるのかぁ。
かくいう私もよく「怒り」ますので、この自分を「許す」というイメージは、私に必要なことかも??
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いやぁ、いい映画でした。キャッチとパッケージの説明だけ読んでると、母を訪ねて三千里の女の子版?とおもっちゃってたんだけど、なんのなんの。
時代は1960年代中頃で、公民権法ができたばかりのアメリカ。人種間の差別が生む白人と黒人の双方が持つ「怒り」と、両親の愛を知らずに育った子どもの「怒り」を、同じ人間が内包する「怒り」として描き、怒りを持つ自分を「許す」というところにたどりつくのです。
こういう「許し」という概念がでてくるのが、キリスト教文化がバックボーンにない私なんかには、そういうふうに考えることができるのだと新鮮な気持ちにさせてくれました。
仏教だとこういう怒りも煩悩のうちで、「さとり」を開くという別次元の精進ができていない自分をせめるっていうことになるのかぁ。
かくいう私もよく「怒り」ますので、この自分を「許す」というイメージは、私に必要なことかも??