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柴田宣史 | 簡易評価: いまいち | 見た日: 2014年09月29日 | 見た回数: 1回
「Aでない」ことを表現する方法は二つある。一つは「antiA」を描くこと、もうひとつは「B」を描くこと。
同じじゃないかと思うかもしれないけど、ここでいうBは、全然別の次元を持ち込んだっていい。
「Aでない」という主張を強くするためにはBの方法はあまり意味がない。Bを見ているときには、Aのことなんか思い出さない。
でもantiAは違う。つねにAを意識させられる。で、Aがステロタイプであれば、antiAもステロタイプを免れない。
* * *
なんでこんなことをわざわざ書くかというと、本作はなんだかたいへん見慣れた味わいの作品なんです。で、これがantiA式だと思うのです。
なんだろうな、お上品な作品へのアンチテーゼを意識した演出で描いていると思うのだけど、そういったアンチテーゼってどこかしら似るんですね。
だから本作もめずらしい表現手法(切り絵のアニメーション)を使っているのだけど、全体的に既視感が漂うのです。
奇抜といえども技術的に卓抜してる訳でなく、美術的にこれは思いつかなかったというものでなく、演出的にも特段のものはない。なんだかシュールレアリズムをかじった学生の卒業制作を見ているみたい。
アリマツさんが見てなかったら見ることもなかったと思うのだが、うちの小学校4年生の娘にはそれなりに面白かったそうで、まあ、それはよかったかな。
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「Aでない」ことを表現する方法は二つある。一つは「antiA」を描くこと、もうひとつは「B」を描くこと。
同じじゃないかと思うかもしれないけど、ここでいうBは、全然別の次元を持ち込んだっていい。
「Aでない」という主張を強くするためにはBの方法はあまり意味がない。Bを見ているときには、Aのことなんか思い出さない。
でもantiAは違う。つねにAを意識させられる。で、Aがステロタイプであれば、antiAもステロタイプを免れない。
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なんでこんなことをわざわざ書くかというと、本作はなんだかたいへん見慣れた味わいの作品なんです。で、これがantiA式だと思うのです。
なんだろうな、お上品な作品へのアンチテーゼを意識した演出で描いていると思うのだけど、そういったアンチテーゼってどこかしら似るんですね。
だから本作もめずらしい表現手法(切り絵のアニメーション)を使っているのだけど、全体的に既視感が漂うのです。
奇抜といえども技術的に卓抜してる訳でなく、美術的にこれは思いつかなかったというものでなく、演出的にも特段のものはない。なんだかシュールレアリズムをかじった学生の卒業制作を見ているみたい。
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アリマツさんが見てなかったら見ることもなかったと思うのだが、うちの小学校4年生の娘にはそれなりに面白かったそうで、まあ、それはよかったかな。