アクションなどはほぼ無い。むしろ心理小説を映像化したような感じであった。
欲と、猜疑心。
天下を取ろうとするかどうかの選択においてたち現れてくる欲や、王になってからの功臣への猜疑心など
一般人には現実に経験できないため想像は容易とは言えないが、
しかしこれは人間不変の心理であって何も中華に限ったことではない。
完璧超人たる項羽から天下を奪った単なる農民出の立場ならなおさら己の正統性への自信が無くなってくるというものだ。
王朝というのは継続期間が短いほど権威も何もないわけなので、王位の継承に際して不安定化して荒れる。
日本でいえば、6世紀に継体天皇で王朝交代を疑わせるような代替わりがあってから欽明天皇そして天智天武へとつながって天武天皇が日本最初の国史として日本書紀をつくらせるのであるが、その辺りの時期では他の皇位継承者は謀反を企んだとしてしばしば殺されているし、崇峻天皇などは蘇我馬子に暗殺されている。
果たして本当に謀反を企んだのかどうか、そんなことはわからない。
映画の時期は史記を書いた司馬遷が生まれる約50年前の出来事だから、今20-30代の人にとっての第二次世界大戦のような近さであり、彼が書いたのは現代史といえる。
作中で蕭何は「歴史は後世の人が読むのだから間違いがあってはいけない」と言っているが、とんでもない。歴史はその王権を正当化するために書かれている。
本作の作者は当然それをわかっているからこの映画を作っているのだ。
また、簡潔なカット割りとでも言うべき演出は、簡潔な古典漢文を読むような感覚に近く興味深い。