2003年製作の中国映画。監督と脚本はフー・ピン。
この監督の名前は90年製作の「双旗鎮刀客」で覚えた。とにかく、度肝を抜かれたのだ。ジャンルで言えば、剣劇時代アクションなのだが、演出が独創的だった。他の中国映画ともまるで違うし、もちろん、香港や台湾のワイヤー・アクションに象徴される剣劇ともまるで違う。
黒澤明の「用心棒」や「七人の侍」が他の時代劇と違うように、セルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」が他のマカロニ・ウェスタンと一線を画すように、フー・ピン監督独自の活劇スタイルが完成しているのだ。だから、「双旗鎮刀客」はまるで何々の作品のように、という形容が使えない。それほど独創的で魅力的なのだ。
例えは悪いかもしれないが、黒澤明やセルジオ・レオーネのような、と形容するのが、一番合っているのかもしれない。
そのフー・ピン監督の久々のアクション大作である。
紀元700年の唐の時代。来栖旅人(くるすたびびと/中井貴一)は遣唐使として日本からやってきて、すでに25年が過ぎていた。彼は唐で武術を学び、卓越した腕を持っていた。皇帝は彼が日本へ帰りたがっていることを利用し、密使となって西域へ行くことを命じる。皇帝に仇を成す謀反人を来栖に処刑させるためだ。
西域を守る軍人の李(り/チアン・ウェン)は部下に信頼された、人望のある人物。そのため、捕虜にしたトルコ人の子女を殺せという命令に逆らい、皇帝の怒りを買って、軍から部下と共に脱走した。
ようやく日本への帰国を許された来栖の最後の仕事は、その李を殺すことだった。
その頃、シルクロードを長安へ向かう隊商が砂嵐に巻き込まれていた。10万冊の経を僧侶たちが運んでいた。同じ嵐に李も巻き込まれ、彼は隊商の生き残りに助けられる。李はその恩に報いるため、隊商の護衛を引き受ける。
来栖に戦いを挑まれた李は、3太刀の間に俺を倒せなかったら、長安まで勝負を預け、もし負けたら、自分の代わりに隊商を長安まで護衛してくれと提案。来栖は倒すことができず、隊商に同行することになる。
こうして隊商が出発するのだが、蒙古のハーンに依頼された馬賊の安(あん/ワン・シュエチー)が彼らを狙って襲ってくる。実は隊商の運ぶ荷物にはある秘密があったのだ。
こうして来栖、李そして安一味との壮絶な戦いがシルクロードを舞台に展開することになる。
物語にリアルさはまるでない。荒唐無稽の痛快なアクションである。
しかし、相変わらずフー・ピンの演出には独特のスタイルがあって、見ていて飽きさせない。まるで劇画のようにマンガチックでもあるのだが、そこに男たちの義理と友情をからませて、ある意味、とても浪花節的な人情物語を展開させるのだ。
はっきりと言って、ドラマは破綻している。アクションも構図やカット割りに懲りすぎて、時にはギャグとしか思えないような戦いを繰り広げる。
笑って見ていればいいのだが、しかし、フー・ピンの演出は義理や友情や恩義といった感情に執拗にこだわり、その結果、奇妙で独特の味が生まれているのだ。
見ていて梅干しみたいだと思ってしまった。最初はすっぱくてしょっぱくて、なんでこんなものがうまいんだと思うのだが、やがて、それが病みつきになってしまうような、そんな魅力があるのだ。
多分、この作品は観客を選ぶに違いない。好きと嫌いがはっきりと分かれると思うのだ。
なにしろ、理屈が通じない映画なのだ。論じていけば矛盾ばかりが際だつだろう。これは見る人の感性のみが頼りの、実に独創的な映画だと思う。
私は大好きですけどね。